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テンゲル 時々日記

時々日記 Vol.73  2012.5.〜

桜は終わりましたが、まだもう少し春気分♪ と思っていたのもつかの間のこと…。
春はいずこ?というほど急に夏のような暑さがやってきました。
スプリングコートも春服も、最近では「すぐ暑くなるから…。」と毎年諦めてしまって、
いざという時に夏服しかないぞ?!というようなことも…。
そうは言っても、やっぱり春は春。色とりどりの花が咲き、目を楽しませてくれます。
今年も生駒のお山は裾野の緑から上の黄緑若葉色へと木々のグラデーションが見られます。
山頂近くにはまだ桜色も見られます。あともう少しで夏色に変わりますが、
その寸前の瑞々しい山の景色は、一年で一番美しいと私は思っています。
みなさんもほっと一息、新緑映える近くの山を眺めて見て下さいね。
被災された方々が、エイプリルフールに楽しい嘘をついて笑い合えるような日が、遠からず訪れますように!!

*時の記念日*
特に意識することもなくても過ぎて行く時間。
この世の中で唯一万民に平等に与えられているのが「時」ではないでしょうか。
毎年6月10日は「時の記念日」です。
1920年(大正9年)に当時の東京天文台と生活改善同盟による「時間をきちんと守り、
欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」との提唱を受けて、
6月10日を「時の記念日」にすることが制定されました。
『日本書記』の天智天皇10年4月25日(グレゴリオ暦換算で、671年6月10日)の項に、
「漏刻(ろうこく=水時計)を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあります。
唐から水時計が伝えられたのはもう少し前のことのようですが、
正確な記述があるこの日に決まったそうです。

水時計は日時計よりも正確な時刻を測ることができるとされていて、
エジプトでは紀元前16世紀にはすでにで使用されていたという記録も残っているのだとか。
今となっては、手本にしていた国々より時間に厳しくなった日本ですが、
いずれの国も古くから日本よりも正確な時間の管理がなされていたようですね。
興味深いことです。
ちなみに、「時計」という言葉ですが、その昔、中国では垂直(すいちょく)な柱の影の長さを測って、
その影が一番長くなる日を冬至と決めていたそうです。
この時に使う柱のことを「土圭(とけい)」といい、この名前が時計となったと言われているそうです。



時々日記 Vol.72  2012.3.〜

「あれから1年。」これが、誰かの幸せを振り返る言葉であればどんなに良いか。。。
そう思わずにいられません。昨年の時々日記の4月号での自分の思いは、今でも生きています。
「ひたすら元気にいままで通りの日常を守り支えること。」これだけは、間違いなく果たせました。
何の役にも立たなくても、自分が元気でいさえすればいざというときに誰かを手助けできるかもしれない。
一緒に歩けるかもしれない。自分と関わりのある人も元気になってくれるかもしれない。
こんな小さな積み重ねが、あちこちで大きなかたまりになって大きな力に変わればいい。そう願います。
泣いてもいい。笑ってもいい。さあ、これからの1年も元気に生きよう!!
心にいつも青空を。

*エイプリルフール*
毎年4月1日はエイプリルフール(英語では、April Fool's Day)。
罪のないウソをついても許される、という日です。
日本ではエイプリルフールがその日を指す言葉になっていますが、
「April fool」といえばこの日にだまされた人やウソそのものを指すのだそうです。
行事物で起源がたくさん伝えられているものは他にもあると思いますが、
その中でもエイプリルフールは「これが断然有力!」というものがないようです。

■ヨーロッパ(フランス)説…16世紀ヨーロッパでは3月25日を年初として
4月1日まで春の祭りを行っていた。
1564年にフランス国王のシャルル9世がそれまでのローマ暦からグレゴリオ暦への変更を決め、
そのときに新暦に反対した人々が旧来どおり4月1日を嘘の新年として祝い、
バカ騒ぎをするようになったのが始まり。
(さらに、シャルル9世はこの事態に対して非常に憤慨し、町で「嘘の新年」を祝っていた人々を逮捕し、
片っ端から処刑。その中にはまだ13歳だった少女までもが含まれており、フランスの人々は、
この事件に非常にショックを受け、フランス王への抗議と、この事件を忘れない為に、
その後も毎年4月1日になると盛大に「嘘の新年」を祝うようになっていった。とするものもある。)

■インド仏教説…インドでは春分の後3月末まで仏教の修行が行われ、
その間は悟りの境地にあるものの修行が終わった4月1日は迷いの世界に戻ってしまうので、
この日を「揶揄節(やゆせつ)」と呼び、
からかっていたのがヨーロッパに伝わりエイプリルフールになった。

など、その他にもいくつかあるようです。
ちなみに、日本へは中国経由で江戸時代に伝わったようですが、当時は「不義理の日」といって、
日頃ご無沙汰している知人に手紙を出し、日頃の不義理を詫びたそうです。
被災された方々が、エイプリルフールに楽しい嘘をついて笑い合えるような日が、
遠からず訪れますように!!



時々日記 Vol.71  2012.1.〜

久しぶりの時々日記です。もう年が明けてしまいました!!
もうすっかりお正月気分も抜けて、通常モードでお仕事に学校にと励まれていることと思いますが…、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

この冬、生駒はいつになく風が強い気がします。突風のように突然吹いたり、
ずっとびゅーびゅー吹いていたり、あまり今まで感じなかったような強い風が吹いています。
せっかく晴れた日でも、風が強すぎて体感温度がぐっと下がって、
寒さが苦手な私には酷な事態で縮み上がってしまいます(笑)。
受験生のみなさんは、寒さに負けず自分の夢を叶えるための第一歩「合格」の二文字を
きっときっとつかみ取ってくださいね!!

*月の名前*
先日(1/9)、往馬大社さんの宵戎にお参りした時のこと。
それはもう透き通るように美しい月が見えました。月の青白いあかりに照らされて、
きりっと身の引き締まるような中にもどこか安心したような気持ちの道中。
まさにお参りにふさわしい日でした。
ところで、十五夜お月さま…は歌にもある通りよく覚えていますが、
その他にも月には名前がついていて、それぞれがなかなかに素敵なんですよ。

朔(さく)・新月(しんげつ)→既朔(きさく)・二日月(ふつかづき)→
三日月(みかづき)→上弦(じょうげん)→十日夜(とおかんや)→十三夜(じゅうさんや)→
小望月(こもちづき)・幾望(きぼう)・待宵(まつよい) →十五夜(じゅうごや)→
望(ぼう)・満月(まんげつ)・望月(もちづき)→十六夜(いざよい)・既望(きぼう)→
立待月(たちまちづき)→居待月(いまちづき)→寝待月(ねまちづき)・臥待月(ふしまちづき)→
更待月(ふけまちづき)・二十日月(はつかづき)→下弦(かげん)→
二十三夜待ち(にじゅうさんやまち)→二十六夜(にじゅうろくや)→
朔望月(さくぼうげつ)→晦(つごもり・つきこもり)

なかでも、私は十六夜(いざよい)の響きがとても好きです。十六夜とは、陰暦十六日の夜。
または、その夜に上るいざよいのつきのこと。十五夜よりおよそ50分遅く、
ためらい(いざよい)ながら上るためこう呼ばれているそうです。
昔の日本人の豊かな感性と表現の美しさが秀逸ですね。



時々日記 Vol.70  2011.11.〜

もうというべきか、まだというべきか、そんなこんなで11月です。
今年は例年の早さと感覚が少し違う感じがしています。
いつもは「あっという間」だとびっくりするのと「年々時間が早く過ぎて行く感覚やなあ」などと思ったり、
とにかく単に「早い」という思いで占められているのに、今年は「まだ」という感覚も同時にあります。
残念ながら、いろんなことが思うように進まない現実を
感じざるを得ない一年になったような気がしています。

でも、たくさんの良いこともありました。
ほんの些細なことかもしれませんが、そう思える生活をありがたいなあと思いつつ、
相変わらずバタバタしながら過ごしてきました。
なにより、心身ともに健康でいられることが一番です。
いつも、どんなときも、笑顔を忘れずにいよう!
と、かわいいちびっこくんの姿に学んだ2011年もあと2ヶ月!!

*月名のお話 12月*
もうそろそろ、ほとんどの方が来年のカレンダーや手帳を買いそろえられた頃でしょうか。
年の瀬迫る12月の和名は、皆様ご存知の「師走(しわす)」です。
一般的には、一年の終わりで師匠も走り回るほど忙しい月だという説が馴染んでいますが、
いわれは他にも、年の瀬のお経をあげるために家々をまわるために、
法師も馳せる月という意味の「師馳す(しはす)」、一年の終わり「年果つ(としはつ)」が変化したもの、
四季の果てる月を意味する「四極(しはつ)」、
一年の最後になし終えるという意味の「為果つ(しはつ)」などから変化して、
今日の「師走」になったという説もあるそうです。

1月…睦月(むつき)、2月…如月(きさらぎ)、3月…弥生(やよい)、4月…卯月(うつき)、
5月…皐月(さつき)、6月…水無月(みなつき)、7月…文月(ふみつき)、8月…葉月(はづき)、
9月…長月(ながつき)、10月…神無月(かんなづき)、11月…霜月(しもつき)、12月…師走(しわす)。
和名の中で唯一、師走だけがその月の人の様子を表しているようですね。
ちなみに、1ヶ月の日数が31日ではない月のことを「西向く侍(にしむくさむらい)」と言って覚えます。
「 二四六九士 」の「士」は十一(11)を表しているので、2月・4月・6月・9月・11月がそれに当たります。
2月は28日(閏年は29日)、4月・6月・9月・11月は30日、それ以外は31日ということになります。



時々日記 Vol.69  2011.9.〜

時々日記を2ヶ月お休みしている間にも、またまたいろんなことが世界中で起きていました。
日本の政界も含めて、あまり楽しくない嬉しくない話に覆われているように感じます。
そんな中で、サッカー女子日本代表のワールドカップ優勝や世界陸上の室伏選手の金と
日本人選手の奮闘やサッカー男子日本代表のワールドカップ予選1勝目…
スポーツ界の底力というか努力を惜しまず限界を超え続ける姿を見させてもらって、救われます。。。
子どもの笑顔やはしゃぐ声も、力になります。
思いがけず長期に渡って居座り続ける台風には、ぜひともご遠慮願いたい。。。
みなさんは、今年の夏休みはいかがでしたか?
カラ元気…というあなたも、「嘘から出たまこと」のように(?)、
「カラ元気から出たまことの元気!」になるように、どんなときも自分で今を楽しみましょう!!

*体育の日*
ふと気付いたこと。国語の日や数学の日、音楽の日などの祝日はないのに、体育の日だけ祝日なんだなあ。
なぜ、祝日なのでしょうか。
1961年に制定された「スポーツ振興法」では10月の第一土曜日を「スポーツの日」としていましたそうですが、
「スポーツの日」は祝日ではなかったそうです。1964(昭和39)年10月10日に
日本で初めての五輪大会である東京オリンピックの開会式が行われたことを記念して、
1966(昭和41)年から「スポーツにしたしみ、健康な心身を培う」ことを趣旨とした祝日として
「体育の日」が制定されたそうです。

それ以来、1999(平成11)年までは10月10日でしたが、ハッピーマンデー法案による祝日法の改正により、
2000(平成12)年から10月の第2月曜日に変更されました。
東京オリンピックが10月10日という夏季オリンピックとしては異例の遅い月日に開催されたのは、
この日が東京地方では秋雨前線の去った後の「晴の特異日」とされていたためなのだそうです。
実際に、この日が「体育の日」となった1966年から1999年までの34年間に東京地方で
1ミリ以上の雨が降ったのはわずか5回なのだとか。
最近では、猛暑や受験の関係で、春に運動会や体育祭を行うところが大多数のようですが、
10月10日に慣れ親しんだ世代としては、春に体育祭というのは時期が早すぎて何とも
寂しい感じがしてしまいます。

ともあれ、「スポーツにしたしみ、健康な心身を培う」ことは、
人生よりよく生きるためにも良いことだと思うので、ゴロゴロせずに動きたいものです…。
(日頃の自分への自戒の号になってしまいました。)



時々日記 Vol.68  2011.6.〜

早くから梅雨入りしてしまった今年。蒸し蒸しと暑い梅雨というより、肌寒い梅雨になっていますね。
この季節になると、レインブーツかなにか足元が濡れないように準備しよう!
と毎年思うのですが、選んでいるうちに梅雨が終わってしまうという、
これはもう私としては年中行事のひとつのようになってきています。
足元が濡れていると、不快ですし冷えますし、今年こそは!と意気込んでみています。どうなることやら…。
季節に合わせて物を選んだり、生活の仕様を少し変えたり、気分も変わったり、
行動的になったりゆったりしたりお家時間が増えたり、季節の移り変わりがあるのは、
目にはもちろんのこと、心にとっても変化が楽しめますね。

良いことばかりではないので、ガックリくることもしばしばですが、
日常に起きるだいたいの物事は「気の持ちよう」で違った色に見えてきます。
自分の手で変えられるものに屈することのないように…したいものです。

*小暑(しょうしょ)*
小暑は、1年を24の節に分けて季節を表した二十四節気のひとつ。今年は、7月7日。
二十四節気のうちで夏の5番目にやってくる小暑は、
梅雨明け間近の「これから夏本番に入りますよ!」という頃です。
暑さも本格的になって、蝉が鳴きはじめます。
ジリジリと焼けつくような日差しと、あの蒸し暑さと、それを一層強く意識させる蝉の声。
キラキラと太陽の光を浴びて輝いていた若葉の清々しい黄緑色が、
ギラギラ太陽に負けじと緑も濃くなり…。思い出すだけでも暑くなってしまいますね。。。

暑いと言えば、暑中見舞いを出す時期ですが、小暑または大暑から立秋までの間が暑中にあたるので、
暑中見舞いはこの期間内に送ることになります。
暑中見舞いの葉書が届くと、風に揺れる風鈴や波間に漂う船や、夕涼みに蛍など、
涼しげな絵柄にひととき暑さを忘れて癒されます。
ちなみに、二十四節気をさらに3つに細分化した七十二候というものがあります。
小暑の期間の七十二候は次の3つです。

初候…温風至(あつかぜ・おんぷう いたる) : 暖い風が吹いて来る
次候…蓮始開(はす はじめて はなさく) : 蓮の花が開き始める
末候…鷹乃学習(たか すなわち がくしゅうす) : 鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える

昔の人たちが、いかに自然とともに生き、いかに周りの様子を観察し生活に活かしていたのか、
季節の移り変わりをどれほど愛でていたのかが伝わりますね。



時々日記 Vol.67  2011.5.〜

新緑の季節。晴れた日には、若葉が太陽の光を浴びて輝いていますね。
少し残念なことに、今年は黄砂がすごいようで、春先から生駒山がかすんで見えます。。。
時々くっきり見える日は、なんだか良いことがありそうな気がしたり?!
小さな鉢植えのお花が元気がなくなってきて心配していたら、根っこがはり過ぎていたようで、
大きいところに植え変えてしばらく経ち、また葉っぱも青々して花も小さいながら元気に咲き出しました。
ほっとしています。
植えた覚えのないものがニョッコリと生えてきて、かわいらしい花を咲かせたりもして、
雑草だからってかわいい花が咲いたら抜けなかろう!と言われてるようで、思わず笑ってしまいます。
きっと風に乗って旅してきたのか、鳥が運んできたんでしょうね。
たくましい限りです!

*入梅(にゅうばい)*
毎年6月11日ころで、雑節のひとつです。二十四節気の夏至を中心にして、約30〜40日間、
梅雨(つゆ)の期間に入り、この雨期に入る最初の日を「入梅」と言うそうです。
ただし、これはあくまでも暦では…とういことなので、
必ずこの日から梅雨が始まるというわけではありません。
みなさんご存知の通り、現在では、気象庁が観測と予報にもとづいて梅雨入りを発表していますので、
「入梅」と実際の気象情報の梅雨入りとは別です。
また、地方によっては梅雨の季節を通して「入梅」というところもあるようです。
農業が生活の主だったかつての日本では、梅雨入りの時期は田植えの日を決める大事な時期だったので、
入梅はその目安とされてきました。

梅雨入りに限らず、農業や漁業のように、自然や気象条件に大きく左右されるお仕事をされている方々は、
日々の経験から、驚くほどに的確な予測をされます。
観察する、判断するということを、刻々と変わる天気を先読みしてなさっておられるその能力は、
何にも勝る優れたものだと心底思います!
ちなみに、梅雨に入っても1週間ほど良いお天気が続くことがありますが、
そのような現象を「梅雨の中休み」といいます。
やがて、梅雨が明けると北太平洋高気圧におおわれるので、
日本ではあの蒸し暑〜い盛夏がやってくるのだそうです。



時々日記 Vol.66  2011.4.〜

2月、3月とお休みさせて頂いておりましたが、今月からまたよろしくお願い致します。
お休みしている間に、いままでずっと当たり前だった日常が、少しずつ違う日常になった感じがしています。
平穏でいつもと何も変わらない毎日の続く奈良県ですが、確実に私たちの中にも「違う日常」が入り込んでいます。
どことなくソワソワしたような、心がざわついているような、そんな空気が流れています。
いつもと同じに見えるのに。。。

普段はあらためて感じることはないのですが、やっぱり自分の生まれ育ってきた国、
日本は、当たり前のことながら、他のどこでもなく、どこかが代わりをできるはずもなく、ここ日本なんだ。
自分は、日本人だ。そう思う日々です。

とくに何の資格も持ち合わせておらず、ずば抜けて何かができる人間でもなく、
ただただ心配したり悔しかったり。。。募金する、それくらいしか直接できることはなく…。
そんな自分にできることは、ブログにも書いていた通り、
ひたすら元気にいままで通りの日常を守り支えること。私にできる唯一最大の行動です。
でも、ひとりひとりが自分とその周りの日常を守り続けることができれば、もう少し欲を言って、
いままで通り+αの日常を支えていけば、自然とこの国の基盤を支えることができるようになる。
そうなれば、いい。

残念ながら、経済論も政治論もその種すら持ち合わせていないので、
「政(まつりごと)」は専門家に任せるよりほかに方法がありません。
なので、せめて選挙だけはちゃんと考えて行こうとか、本気で思います。

いつものようにバカなことを言っては笑い、かわいい子供たちに会ってはほのぼのとして、
自分の知らないことを教えてもらっては「すごい!」と感嘆し、涙を流したり、
いろんな期日が迫っては焦り、ささいなことでも大感激したり、
何もない平坦な道ですっころんでは赤面し、電車に乗り遅れそうになってダッシュしたり、
テレビや映画をみたり、本を読み漁ったり、ボーっとしてみたり、朝寝坊したり、二度寝したり、
買い物に行ったのに思うものがなくてリベンジを誓ったり、ドライブしたり、
人見知りするくせに電車で初対面の外国の方とお話することになってしまったり、
ほめられたり、怒られたり、休みがなくてクタクタになったり。。。

当たり前の日常がすべての人のもとに早く早く訪れますように。。。



時々日記 Vol.65  2011.1.〜

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
…風邪だけは引かないように気をつけます…先月の時々日記で公言しておきながら、
新年早々風邪を引いてしまいました。。。ほんと、気をつけないと  ですね。。。
今年の私の初夢。家族で家にいると、どなたか来られたようで玄関を叩く音が(うるさいので、
わが家はインターホンがありません)聞こえてきました。
「は〜いっ!」といつものように今行きますよアピールをしつつ私が走って出ると、3人組の男性が。
なんと、押し売りの人たちでした…。散々断り続けるも、家に強引に上がって来たのですが、
負けずに断り続け、しばし押し問答の末、なんとか追い返して夢が終わったのでした。。。
そんな「えらいこっちゃ」な年明けで、もうこれは厄払い済んだでしょう!!と、
勝手に思い込んで、楽しく1年を過ごそうと思います♪
みなさまには、良いことがたくさん訪れますようにお祈り申し上げます。

*旬の食材(2月)*
近年、いろいろな食材が通年食べられるようになったため、
世代によっては「旬」というものの感覚がうすくなっているように感じます。
旬ではなくても作ることができるものも多いですが、
同じ種類のものでも旬の食材はそれ以外の時期に作られたものに比べて栄養価が高いのだそうです。
「初物を食べると長生きする。」などと言われてきたように、技術的に無理だったとはいえ、
昔の人々は実体験からそのことをすでに知っておられたわけですね。

2月の旬の食材は、野菜だと[レンコン、ブロッコリー、ホウレンソウ、白菜、ネギ、大根、小松菜、
キャベツ、セロリ、カブ、春菊、水菜など]です。
私の場合、野菜は好きなのでだいたい旬の感覚がわかるように思いますが、問題は魚介類です…。
とくに貝類は苦手なので口にしないものが多く、恥ずかしながら旬がよくわからないものがほとんどです;
その魚介類の2月が旬のものは、[ヒラメ、甘鯛、キンキ、サワラ、真鱈、イカ、アサリ、カキ、蛤など]
だそうです。魚は漢字を見ると季節がわかるものもあるので助かりますが。
あくまでも一般的なものですので、ご参考まで。

生まれてこの方ずっとずっと奈良県民の私にとって、他の地方出身の方に旬の食材を聞くと、
「え?それは何??」と質問することもあります。
呼び名が違うだけのものもあれば、そのもの自体を知らないことも…。
狭い国土でも、土地土地で気候も風土も違うものですもんね。
きっと地球全部で考えたら、山ほど見知らぬ食材があるに違いないと思うとワクワクしますが、
テレビの冒険番組で見る珍味や未知の食材のようなものまでは勘弁願うにしても、
もうずいぶんいい歳なので、そろそろ食べ物の好き嫌いも減らしていかねばと思いつつ、
まだねばっています。(でも、去年はなんとか牡蠣食べました!まだ苦手ですが…。)



時々日記 Vol.64  2010.12.〜

日中暖かいからと油断していたら、朝晩の冷えること…。やっぱり冬ですね。
夏の猛暑に慣れた体には、ちょっとの寒さも堪えます! そうこう言っているうちに、
これを書いている今日12/9は奈良市で初雪観測、例年より1週間前後早いのだとか?
雪の降る日は、寒さが全然違いますね。。。「寒い寒い〜」と言っていられるのは、
まだましな証拠で、雪ともなると、体の芯から身震いするような感じです。
「寒っ」と言うために口を開けることすらためらうほどに…。
寒さに負けず!! …風邪だけは引かないように気をつけます。。。

*お正月の歌*
お正月になると、テレビやお店などで耳にする機会が多いのに曲の名前はわからない!
あれなんていうの?なお正月の歌、「一月一日(いちがついちじつ)」。
ついたちではないそうです。いちじつだそうです。
私は子供の頃、歌詞を聞き間違えていました(勝手に変えていたとも言います)。
  年の始めの 例(ためし)とて     終(おわり)なき世の めでたさを
  松竹(まつたけ)たてて 門ごとに   祝(いお)う今日こそ 楽しけれ
「松茸食べて 籠ごとに…」食いしん坊万歳!お正月じゃあないですねえ。。。
この歌は、千家 尊福(せんげ たかとみ)作詞、上 真行(うえ さねみち) 作曲 です。
歌詞は2番まであるそうですが、耳に残っているのは1番の歌詞だけ。
松茸パワーのなせる業だったかどうかはわかりませんが…。
  1.年の始めの 例(ためし)とて     終(おわり)なき世の めでたさを
    松竹(まつたけ)たてて 門ごとに   祝(いお)う今日こそ 楽しけれ 
  2.初日のひかり さしいでて       四方(よも)に輝く 今朝のそら
    君がみかげに比(たぐ)えつつ     仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ
歌詞から推察されますが、歴史や思想の観点から「君が代」と同じく歌うべきではないと
おっしゃる方もおられると思いますが、日本のお正月らしさが徐々にうすれている昨今、
今を生きる若者にとってこの歌はお正月の代名詞といっても良いほど自然と耳にできる歌になっています。
どうでもいいと言うわけではなく、純粋にお正月の歌として耳にしている人間にとって、
日本のお正月の風物の登場する歌として歌い継ぐことも許されてよいのではないでしょうか。
各地でその土地の風土を生かした替え歌もあるくらいですし。ね。

年末年始のお知らせ



時々日記 Vol.63  2010.11.〜

秋を飛ばして、冬来る…と思いきや、真冬の格好をするほどではなく、なんとも困った気候です。
夏バテはさすがに抜けましたが、今度は温度調節がなかなかうまくいきませんね。
平城遷都1300年の今年も、残すところあと2ヶ月になりました。
メイン会場の平城宮跡での展示等は11/7(日)までとのことです。1年あっという間でしたね!
みなさんは見に行かれましたか? テンゲル民は、油断していたら終わっていた…
という事態になってしまいそうな予感がします。大極殿はぜひ見たいです。
正倉院展も始まりましたし、奈良への駆け込み旅行も大歓迎☆
気温の変化が激しいですので、脱ぎ着しやすい服装でお出かけ下さいね。

*熨斗(のし)の豆知識*
熨斗は、のし紙を略して言っているように思われがちですが、
のしの付いた紙をのし紙と言います。
ちなみに、熨斗は、のし紙やのし袋に付いている(右図)のことです。
熨斗のルーツ何でしょう?実は、鮑(あわび)なんです!
昔から吉事には魚や鳥肉のような生ものが欠かせなかったので、
海産物を贈る風習があったそうです。

また、伊勢神宮では2千年も前から鮑をお供えしてきたそうで、
後に日持ちする熨斗鮑(のしあわび)が奉納されるようになり、
神の供物である熨斗鮑を吉事に贈るようになっていったのだとか。
江戸時代に入ると、熨斗鮑が不老長寿や長寿延命に効く薬としても珍重されて、
さらに縁をのばす、命をのばす、慶びをのばすなど、
めでたい物の象徴として贈答品に添えるように。元来、鮑はとても貴重で、
贈り手のお祝いの気持ちや誠意を伝える最高の贈り物だったのですね。

とはいえ、とても高価で貴重な熨斗鮑を手軽に贈ることはできないので、
代用として熨斗飾りが作られるようになり、
さらに簡略して奉書に印刷されるようになったのが現在の熨斗紙です。
そして、熨斗自体が生ものの象徴ということから意味が重複してしまうので、
魚介類や肉などの生ものを贈る際には熨斗を付けず水引きだけの掛け紙をつけるそうです。
また、お見舞いには熨斗はつけませんので、気をつけて下さいね。

ちなみに、水引についてですが、
結婚のお祝いの時は紅白または金銀の10本で結び切りか鮑結び・あわじ結び、
一般のお祝い[繰り返しても良いこと]は紅白の5本または7本の花結び・蝶結びになります。



時々日記 Vol.62  2010.10.〜

ものすご〜〜〜〜〜く暑かった今年の夏もさすがに終わったようで、
そろそろ半袖は片付けても大丈夫かな??と、やっと今頃思いはじめました。
夏の異常な暑さに慣れてしまったのか、少し気温が下がっただけでも涼しいを通り越して寒い気がしています。
それでなくても寒がりなのに、今年の冬は例年以上に体に応えそうな予感がしています…。
夏バテよりも、寒さ対策を万全にしなければ!!と意気込んでおります。
2010年10月10日10時10分10秒。1日に2回やってきます。
貴重なぞろ目デーは、大安だったので、結婚式など喜び事も多かったのではないでしょうか。
など言いつつ、人に言われてはじめてぞろ目デーがやってくることに気付いたのでした…。

*ぞろ目*
街ゆく車のナンバーが777だったり、買い物をした金額やお釣りがたまたま555円だったり、
時計を見たら10時10分10秒だったり、走行距離が33,333kmだったり…。
なんとなくラッキーな感じがしたり、当たり前の日常の中で、急に非日常的な事に遭遇した気がしたり、
もしかしてこれって奇跡?!とか興奮してみたりする「ぞろ目」。
単に同じ数字が並んでいるだけの小さなことなのに、この特別感。
たぶん人間だけしか考えてないのでしょうけれど。。。

ぞろ目は、漢字を当てると「揃目」と書くようですが、
複数のサイコロを振った時にサイコロの目が揃うこと(同じ数字が出ること)をいいます。
そこから、2桁以上の数字が同じ数で揃っているものも、ぞろ目といいます。
先にも言いましたが、単に同じ数字が並んでいるだけのことですが、
同じものが揃うということには何か特別な感じがしたり、
実はぞろ目には意味があるんですよという占いがあったりするんだそうです。

そういえば、ポーカーでも数字はもちろんマークでも揃いの数が多ければ多いほど強かったり、
モノポリーでもぞろ目には特別ルールがあったり、ゲームの世界でもぞろ目は特別。
同じ数字が並んでいるとなんとなくスカッとしますが、ぞろ目の記念切符や記念スタンプや紙幣など、
コレクターをはじめとした多くの人がこぞって入手されますが、
興味のない人間にとってはすべてその物の価値を超えることはなく、なんとも不思議なものです。
ちなみに、サイコロの1の目だけが赤いのは日本特有だそうです。
もともと、サイコロの目は全て黒かったのですが、
1926年に和歌山県のサイコロ製造業者が日の丸をモチーフに1の目だけ赤色にして売り出したら、
大当たり。それから、日本では1の目が赤いサイコロが一般的になったのだそうですよ。



時々日記 Vol.61  2010.9.〜

朝晩は次第に秋らしくなってきましたが、日中の暑さはまだまだ夏真っ盛り…。
「早く涼しくならないかなあ」と毎年思いますが、もうしばらくしたら暖かいのが恋しくなって、
「早く暖かくならないかなあ」と言うのです。知っていますが、わかっていますが、やっぱり暑すぎると、
秋の終わりから冬のはじめ頃を恋しく思います!!
そろそろ、夏バテなんてしなかった!という方も、
気付かないうちに夏バテ症状が表れだしたりする時期です。
体調管理は万全に。冷たいものの飲み過ぎも注意ですね。
徐々に気持ちも秋色に、生駒山も季節が変わろうとしている感じです。緑もかなり濃い色に、
これから秋の赤や茶色に変わって行くのですね。楽しみです。

*Halloween(ハロウィン)*
日本でもお祭りとして定着しつつあるハロウィンは、毎年10月31日に行われます。
ハロウィンは、キリスト教の諸聖人の祝日である万聖節(All Hallows)の前夜祭(eve)という意味から、
Halloweenと呼ばれるようになったそうです。
ハロウィンといえば…お化けのかぼちゃですよね。
かぼちゃをくりぬいた中にロウソクを立てて「ジャック・オー・ランタン」(おばけかぼちゃ)を作り、
魔女やお化けの衣装を着込んだ子ども達が、「Trrick or treat.(お菓子くれなきゃ、いたずらするぞ)」と言って
近所の家々を回って、お菓子をもらい、
それを持ち寄ってハロウィン・パーティーを開いたりもします。大人も混ざって参加したいですね!

このハロウィン・パーティーのイメージが先行して、
日本では仮装のお祭りのように認識されていますが、もともとは、
数千年前の古代ケルト民族の祭り(Samhain)が起源と言われているそうです。
古代ケルト民族は、1年の終わりを10月31日と定めて、その夜を死者の祭としたのだとか。
それは死者の霊が親族を訪れる夜であり、また悪霊が悪さや恐ろしいことをしたり、
子どもたちをさらったり、はたまた作物や家畜に害をなす夜でもありました。
そこで、死者の霊を導いたり、また悪霊を払いさったりするために、
焚き火は不可欠なものとなったのだそうです。
後に、古代ローマの台頭とキリスト教伝来によってそれぞれの文化が混ざり合い、
現在のHalloweenという名前になったようです。

ラテン系の国では、宗教的色彩が強いようですが、イギリス・アイルランド・アメリカでは
民族的習慣が教会的儀常時と並行して残存しているようです。
死者の霊が親族を訪れるという点で言うと、日本では、先祖の霊を祭るお盆に近いかもしれませんね。
目に見えないものを大切にする文化はどこの国にもあるのですね。



時々日記 Vol.60  2010.8.〜

すでに猛暑日が続いておりますが、行事はこれからが夏本番ですね!
ちびっ子さんのおられるご家庭では、パワー全開で海に、山に、プールに、街に、
テーマパークに、海外に!?楽しくも忙しい日々がやってくるのでは?
ちびっ子パワーに負けないように、大人も夏を満喫しましょうね。
それにはまず、日頃から体調管理に気をつけて…あら、大人は季節を問わずですね。
とにかく、仕事も家事も遊びも、めっぱいやるっきゃない!ということで(笑)
私は、無性に線香花火をパチパチしたくて、買い物に行くたびに花火の前で立ち止まって、
じーーーーーっと見ています。夏です!!

*奈良の夏*
京都の人に言わせると「奈良の夏が、一番蒸し暑い!!」とのことですが、
奈良からすると、京都の方が蒸し暑いように思えます。慣れというものでしょうか??
いずれにしても大変蒸し暑い奈良ですが、もうそれは仕方がないのであきらめて頂くとして、
せっかくの夏なので、しかも平城遷都1300年祭期間中でもありますし、おすすめなのが、「夜」です!

以前にも書いている通り、奈良のお寺はきらびやかではありませんが、
楚々としていてあたたかく迎えてくれます。
しかも、凛とした感じがするという、素晴らしいものなんです。その奈良のお寺をはじめ、
奈良国立博物館なら仏像館(本館)などのライトアップが行われています。
猿沢池、興福寺五重塔、春日大社一ノ鳥居、奈良国立博物館なら仏像館、浮見堂、
平城宮朱雀門、薬師寺は一年を通じてライトアップされているようですが、夏の夜は格別です。
猿沢池や浮見堂では幽玄の世界をたっぷりと愉しんで頂いて、
東大寺や興福寺では荘厳な、春日大社では神秘的な雰囲気を満喫して下さい。
奈良公園一帯で行われている「燈花会」も、今年で12回目。年々パワーアップしていて、
ゆらゆらと揺れるロウソクの光が自然溢れる奈良公園の情景とあいまって、とても幻想的。

◆ ライトアッププロムナード なら 2010 ◆ 開催期間:2010.7.17(土)〜9.26(日)
時間:19:00〜22:00(9月は、18:00〜22:00)

◆ ライトアッププロムナード なら 2010 ◆ 開催期間:2010年8.5(木)〜8.14(土)
点灯時間:19:00〜21:45

奈良県観光情報 大和路アーカイブ http://yamatoji.nara-kankou.or.jp/



時々日記 Vol.59  2010.7.〜

7/11(日)第22回参院選の投票日でしたが、今回の選挙はいままでになく静か〜な選挙でしたね。
生駒だけでしょうか?街宣車もあまり回って来なかったので、
新人さんや知名度の低い方はいつもよりも苦戦を強いられたのでは??と気になりましたが…。
梅雨明けが待たれるこの頃。幸い近辺では豪雨の被害も聞こえて来ませんが、
全国的には大きな被害があちこちであったようで、心配な毎日です。
自然には抵抗しようもないですが、
とにもかくにも安心して毎日毎日を過ごせる世の中になってほしいと切に願うばかりです。

*処暑*
ここ10年程、暦通りの気候にならないことが多くなってきましたが、日本には四季の中にも、
細かく季節のいろいろなことが暦にあらわされています。
「処暑」は、二十四節気のうちの秋に分類されていて、8月23日頃になります。
処暑とは、暑さが終わるという意味で、まだ昼間は暑い日が続きますが、
朝夕は涼しい風が吹き渡わたり、気持ちのよい時期です。
また、この頃には秋の台風が訪れます。

先にも書きましたが、20年ほど前は確かに夏休み終盤には、
暑いながらも徐々に秋の気配を感じる空気が夜に流れていましたが、
この頃では10月でもまだ秋の気配を必死で探すような夏の暑さが続いていますね…。
そうかと思えば、空を見上げると、真夏でも入道雲があまり見られず、
代わりにうろこ雲や羊雲が見られたり…。不思議な気候です。

ちなみに、二十四節気とは、節分を基準に1年を24等分して約15日ごとに分けた季節のことで、
1ヶ月の前半を「節」、後半を「中」と言うそうです。
その区分点となる日に季節を表すのにふさわしい春・夏・秋・冬などの名称がつけられたのだそうです。
二十四節気につけられた個々の名前は、その季節の特徴を言い当てているものが多数あります。
例えば、3月6日頃の「啓蟄〔けいちつ〕」は「春になって虫が穴から出てくる」という意味です。
これらの名前は中国から伝わってきたために、
実際の日本の季節との間に多少のズレが生じてしまうのだそうです。



時々日記 Vol.58  2010.6.〜

不安定な気候にやられて、ちょっと体調崩し気味…という方も、
5月過ぎたけどまだ五月病…という方も、
6月はちょっとアンニュイ…という方も、元気にいきましょう!!
ワールドカップ開幕でアツいこの時期。
でも、今年は暑いのか暑くないのか、熱いのか熱くないのか熱くなれないのか、
熱く応援したいのに何だ何だーっ!!と怒り爆発中の方も、
冷めてしまった方も、楽しくいきましょう!!
そして、体調管理、気をつけましょう!!

*海開き*
海開きと聞くと、「夏が来た〜!」という感じがします。
最近は温暖化のせいか、5月でも夏日だったりして、
海開きより気温が先に夏ということも多々ありますが…。
読んで字のごとく、海を一般に開放(公開)することですね。
その年ではじめて海水浴場として開放されるわけですが、
本州では7月に入ると海開きを行う海水浴場が多いようですが、
外気温はとても暑いのに海水が冷たかったりもしますよね。
一般に海水浴に適した水温は23度以上ということです。
平均水温が23度以上になるのは、九州南部より南の地方では6月で、
7月には太平洋側では関東沖、日本海側では新潟沖にまで広がるそうです。
8月には水温も更に上がり、海水浴に適した海域は太平洋側で福島沖、
日本海では津軽半島沿岸まで広がります。

南からどんどん北上するわけですが、
同じ緯度(赤道に並行な座標)でも日本海の方が太平洋よりも水温が高くなるのは、
日本の周辺を流れる海流の影響だそうです。
太平洋では暖流の黒潮が関東沖まで流れていますが、
そのまま北上せず東へ進んで日本から徐々に離れていき、
北海道から東北にかけては北から冷たい親潮(千島海流)が流れています。
このため、三陸沖ではあまり水温は上がらないのだそうです。
それに対して、日本海は暖流である対馬海流が北海道の北まで流れているため、
北日本の海域では太平洋よりも日本海のほうが水温が高くなるのだそうです。
気温の上昇と水温の上昇が必ずしも一致しない謎が解けました。

ちなみに、奈良県は四方を山に囲まれた盆地で内陸にあるため、海と接していません。
海に面していない内陸県は、栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県、
全国で合計8県あります。
海に面していない県に住んでいても(だからこそ余計に?)、海開きは本格的な夏の到来を告げる、
楽しみな楽しみな行事です!
規則を守って、安全で楽しく夏の海を満喫しましょう!!



時々日記 Vol.57  2010.5.〜

皐月(さつき)と聞くと、『となりのトトロ』の中で、
お友達が「さ〜つきちゃ〜ん」と呼びに来るシーンを必ず思い出します。
どこの地域でもそうなのかどうかはわかりませんが、
私も小さい時に友達を迎えに行ったときに節付きで名前を呼んだ覚えがあります。
大人になるとできなくなるので、子供の特権(?)なのでしょう!!
大きな鯉のぼりがあまり見られなくなったこの頃ですが、今年は結構見つけました。
初節句の男の子が多かったのかな。みんな元気に育ってね。

*こども力*
こどもの力というのは、大人の想像をはるかに超えますね。自分もこどもだったのに、
今やもうその力は使い果たされたのか、どうやらないようです。
実際はあるのかもしれませんが、今まで得てきた知識や経験が無意識のうちに
自分の能力限界やいろんな枠のカタチを決めてしまって、
はみ出せなくなってしまっているのかもしれません。
そういう意味では、こどもは大人よりも優れていると言えますね。

最近、小さい子でも大人びていて「こども」を感じにくくなったように思うこともありますが、
それでもやっぱり彼らの脳は大人が生み出せないものをどんどん思いつきます。
私たちには見えていないものも見えてるのでは?!と思うようなことも。
異世界の…ということではないのですが、物理的な目線の違いや知識量の違いによって、
同じものを見ていても、とらえ方が全く違うようです。
車を見て喜ぶからといっても、実はどの車でも良いわけではなく「バス限定」だったり、
電車が好きだと思っていたら、止まったら不機嫌になったり、
結構ピンポイントで好みがあったりして、観察していると大変興味深いです。

大人にはただ漠然と好き嫌いがあるのだと思えるのかもしれませんが、
こどもはおそらく言葉に表現できるかどうかは別として、
ハッキリとした基準を持って取捨選択や好き嫌いの判断をしています。(と私は思っています。)
ついつい大人の思惑やら心配から、道をつくりがちですが、
人の道に外れることや法に触れること以外なら、こどもの「こども力」を信じて、
自分で歩くのを見守ってあげることも肝要なのでしょうね。忍耐力のいる難しいことですが。。。

テレビを見ていたら、プロ野球の西武ファンの2歳の男の子(まだ赤ちゃんに近かったような?)が、
カメラ目線で応援メッセージを言っていました。「なかじまんがれ〜!」と。
彼はきっと親御さんが「なかじまがんばれ〜!」と言っているのを聞いて覚えたのでしょうけれど、
おしかった!たぶん言葉がはっきり認識できていないから、音で覚えた一言。
絶妙の「もう一歩!」具合もまた、こどもだからこそですよね。



時々日記 Vol.56  2010.4.〜

今年の桜はいつもよりも長く咲いていましたね。桜吹雪も美しいです。
暖かいを通り越したり、冬が戻ったり、まだまだ寒暖差が激しい毎日ですが、
新生活がはじまる季節でもありますので、体調管理は万全に!
これからどんどん初夏に向けて気温が上がっていきますが、
できれば今の「暖かい」くらいで続いてほしい…と思ったり、いやいや、
四季がはっきりないとそれも困るし…と、悩んでも仕方ないことをあれこれ考える平和な日々です。

*憲法記念日*
憲法記念日は毎年5月3日で、1948年に「日本国憲法の施行を記念し、
国の成長を期する日」として法律で国民の祝日に定められました。
日本の基本法であり最高法規である日本国憲法は、
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)11月3日に公布され、
半年の準備期間を経て翌1947年(昭和22年)5月3日から施行されました。
ちなみに、公布日の11月3日は「文化の日」です。
学校でも習いましたが、日本国憲法は、国を治める主権は国民にあるという「国民主権」、
人間が生まれながらにして持っている人間らしく生きる権利を永久に保障する「基本的人権の尊重」、
世界の平和を永久に守るため、外国との争いが起きても戦争をしないで平和的に解決するという
「平和主義」という3つの柱を持っています。
憲法の解釈や思想に関して十人十色いろいろな意見があることとは思いますが、
この3つの柱が正しく守られる国であることを望みます。

*人名漢字*
憲法記念日が国民の祝日として定められた1948年生まれの人には、
「憲」の字を使ったお名前が多く見られるようですが、
その年々で流行った物事や出来事からとった名前や、活躍した有名人にあやかった名前など、
時代が名前にも表れるようです。
ちなみに、何でも使っていいわけではなく、
常用漢字表と人名用漢字表に掲げられた漢字に限られています。とはいえ、約3000字の数があります。
人名に使える漢字かどうかを調べるには、
法務省のホームページ内に常用漢字表と人名用漢字表がPDFデータで見られるようになっています。
また、同ホームページ内の戸籍統一文字情報から調べることもできるそうです。

<法務省ホームページ> http://www.moj.go.jp/

<戸籍統一文字情報> http://kosekimoji.moj.go.jp/kosekimojidb/mjko/PeopleTop



時々日記 Vol.55  2010.3.〜

最近、夜もストーブを使わなくても過ごせるくらいの気温になって、うれしい限りです。
が、油断大敵!お水取りはまだですからね。
またぐぐーっと冷えるに違いない!と自分に言い聞かせています。
我が家の枝垂れ梅は、この暖かさで1週間しないうちに満開になりました。
前を通るたびに甘酸っぱい梅の花の香りが漂って、良い気分です。

*平城遷都1300年祭*
今年2010年は、平城京[710年〜]ができてから1300年にあたります。
私現在31歳。1300年といったらあと42回弱今までの自分の人生を繰り返さなければいけないんですね…。
一体、何代くらい経てここまで至るんでしょう。
気の遠くなるような話です。

実は、奈良県民の気風からか、万博や他県のイベントと違って広報が効果的ではないからか、
どんなことが行われるのか私もよく知らないんです。
カウントダウンイベント以来、めぼしいイベントはなかったような…?
とはいえ、2010年の1年間通しての一大イベント。でも、私が個人的におすすめなのは、
奈良の各寺社仏閣の秘宝・秘仏特別開帳。
各寺社が行う特別開帳は時期も全く合わなかったりするので、
同じ年に合わせて見られるってそうないことですよね。
まずは下調べをして、近い順に巡るもよし、仏像の年代を追って巡るもよし。
奈良は奈良らしく、のんびり(保守的に?!)満喫して頂きたいです。

あとは、本当に「見るだけ」かもしれませんが、平城宮跡の中に建てられた大極殿正殿。
私はまだ実際に見ていませんが、見た方に伺ったところでは、なかなか見応えがあるようでした。
「復原」というだけあって、色もこだわって造られたようす。
あの建造物自体は造ったことに意味があると言ってもいいと思うとのことでした。
ちなみに、「復元」の方が普段馴染みがありますが、どちらもちゃんとした言葉で、
決して誤植ではありません。「復原」とは元の状態に戻すこと、
「復元」とは元のように作ることだそうで、似ているようで実は全く違うことだったんですね。

有名テーマパークのような楽しみ方はできないかもしれませんが、先程も書いたとおり、
奈良の奈良らしさあふれるイベントだと思います。郷に入れば郷に従え?
あるものをあるがままに、見て感じて考えて下さい。

詳しくは→平城遷都1300年祭ホームページ



時々日記 Vol.54  2010.2.〜

お正月の気分もすっかり消えて、世の中も本格的に2010年始動!という感じですね。
『2001年宇宙の旅』という映画がありますが、
2000年というだけでものすごい未来を想像していたのも束の間、すでに2010年です。
現在進行中のこの「未来」が、驚くべき進化よりも平穏を望みたくなる世の中になっていようとは…。
変わるもの、変わらないもの、どちらも大切にして共存共栄の「未来」でありますように!!

*継続は力なり*
今月は、ちょっとひと休みで、ひとりごと日記にさせて頂きます。
時々日記を書いていると、伝統行事や文化などについて取り上げることがほとんどなので
余計にそう感じるのかもしれませんが、「昔の人ってすごいなあ!」と感心します。
時々、ダジャレか!? と思うこともありますが…。それもまたすごいのかも。
休み休みながら、今号で54回目の時々日記。
それなりの数になってきて、念のため毎号見本を残しているファイルも
少し重みを感じるようになってきました。厚みもあと倍頑張ったら1cm!(まだ倍!?)

実際のところ、うろ覚えのことの方が多いのですが、それでも続けた甲斐はあるもので、
テレビや会話でその言葉を聞くと「あ!それ、時々日記で書いたぞ!」ということも
随分増えたように思います。それと同時に、もっといろんなことを知りたいとか、
もっとこのことを深く掘り下げて考えたいと思うようにもなります。興味はどんどん広がります。
まさに、「継続は力なり」です。

世の中には自分の知らないことが無限にあり続けるわけですが、ひとつひとつ物事を知ってゆくたびに、
ちょっとだけ自信がつく。そうやって、今までも成長してきました。
自信が出てくると、なんとなく自分が少しだけ強くなったような気がして、
もっともっと頑張ろうと力が湧いてきて、目に映るものが今までよりずっと鮮明に見えます。
今まで見ていたものと同じ景色がそこにあっても、まったく違った感覚が生まれます。
そうこうしているうちに、なんだか人生楽しくなって…。

テンゲルをはじめてから、ここまでにはいたりませんがありませんが、
少しだけそんなふうに感じるようになってきました。
まだあと2、30年はこうやって大人街道をひたすら進み続けます。
そうしているうちに、人生後者にバトンタッチするころになったら、またひと休み。
同じ年頃の自分がそうであったように、あっちこっち壁にぶつかったり、泣いて笑って考えて、
遅くも早くもとにかく進むそんな人々を見守りながら、必要であれば力をお貸し致しますよと、
どっしり構えられる大人になって…。
そんな未来は果てしなく遠いのでした。。。



時々日記 Vol.53  2010.1.〜

昨年2009年のお正月に我が家にやってきたのは笑いの神様でした。
今年2010年のお正月にやってきた神様は…やっぱり笑いの神様でした!
関西人気質なのか、普段から笑いの多い我が家でありますが。。。
大晦日〜お正月にかけて、テレビをお供にコロコロのんびり過ごしました。
みなさんのお正月はいかがでしたか。今年もまた一年頑張りましょう!

*初午(はつうま)*
2月の最初の午の日が「初午」です。今年2010年は、2月1日(月)です。
稲荷神社の総本社・伏見稲荷大社の祭神の稲荷大神(御食津神/みけつのかみ)が、
奈良時代の711年(和銅4年)2月の初午の日に伊奈利山の三箇峰に鎮座したという故事から、
全国各地の稲荷神社で祭礼が行われるようになったそうです。

稲荷神の稲荷は「稲生り」から来たともいわれ、
その稲荷神を祀る稲荷社の祭神とされるのが宇迦之御魂神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、
五穀と養蚕を司る穀物神、農耕神であり、稲の生産、豊穣を守護する神として崇められました。
初午の祭礼は、家内安全・商売繁盛を願う人でにぎわい、
参拝者はお守りの杉の小枝を持ち帰り、豊作や幸福を祈願します。
また、稲荷神のお使いである狐(きつね)にちなみ、油菓子や油あげをお供えしたり、
食べたりする風習もあります。

ところで、なぜお稲荷様の使いは狐なのでしょうか?
これには諸説あるようですが、農村では、
初午の祭礼は春の耕作の初めに田の神を山から里にお迎えするという意味もあるそうです。
そこで登場するのが狐なのです。
狐は普段は山にいますが、餌の少ない冬から春にかけては里に降りてきて、
穀物を食い荒らす鼠(ねずみ)を捕って食べてくれるので、人にとっては有難い存在です。
そして、古代民俗信仰の山の神は、春に山を降りて田の神となり、
秋の収穫が終わったあとに山に帰ると考えられていました。
こうした狐の習性と人々の山神信仰が結びついて、
狐が神の使い(あるいは神の化身)と考えられるようになったとも考えられています。

ちなみに、「午」は暦に用いる「ウマ」のこと。「午」の字を、「馬」の字と区別していう語で、
杵を上下に動かす様子を象ります。
また、「折り返し」の意味から、十二支の7番目に当てられ、それに「馬」を当てたものです。
なぜ午を「うま」と言うかについては、馬は「牛(うし)」の角がないから「午(うま)」
というダジャレのようなお話はあるようですが、真偽の程は定かではありません。



時々日記 Vol.52  2009.12.〜

2009年も残すところあとわずかになりました。
年頭に思った通りの良い年になった!という人の少ない年だったかもしれませんね。
それでも、生きているからには苦しいこともしんどいことも受け止めて、
それでもそれでも、なお楽しく生きたいものです。
私個人もいろんなことが凝縮されて、良いことも残念なことも密度の濃い一年だった気がします。
心身ともに健康でいられたことが何より、それがすべてであるように思います。
今年のあと少しと、来年も心穏やかに(でもワクワクもして)体も元気いっぱいで過ごせますように!!

*初詣(はつもうで)*
以前にもご紹介した通り、生駒には往馬大社という神社があります。節目節目でお参りするわけですが、
風情のある神社です。もちろん、奈良県にはたくさんの神社仏閣がありますが、
絢爛豪華というよりは楚々としてまた凛としたところが魅力です。
来年は、平城遷都1300年祭が催されます。
これをひとつのきっかけに、大小問わず数多くある奈良の寺社を訪れてみてはいかがでしょうか。

話は戻って、お正月といえば初詣。初詣は、その年初めての寺社への参拝を区別して呼ぶもので、
「年の初め」は、昔から特別なものでした。
初詣だけではなく、年末年始は人々にとって特別な意味を持っていて、
「年の神(年神・歳神)」といった概念も各地に現代まで受け継がれています。
こういったものも、初詣の由来のひとつのようです。

昔は、新年を家族が元気で過ごせるよう祈るために、家の主人が大晦日の夜から元日の朝にかけて
氏神(うじがみ…住んでいる土地の人々の守護神)の社にこもる「年蘢り(としごもり)」
と呼ばれる習慣や、社前で焚き火をして夜を明かしたりする習慣がありました。
この頃は「年の初め=大晦日の夜」という認識だったようで、
これが初詣の由来と言われているそうです。
その後この年蘢りは、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」とに分かれました。
その後、「新年の始まり=1月1日午前0時」という認識が広まると、「元日詣」が一般的になり、
これが現代の初詣の直接の由来ということになるようです。

年末年始のお知らせ



時々日記 Vol.51  2009.11.〜

時々日記を長らくお休みしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
時々月記に格下げの危機!ですね…これからまたがんばります。
9月10月は、個人的に師走のような、それより忙しかったかもしれない日々で、
ジェットコースターに乗っているように猛スピードで過ぎた2ヶ月でした。
一歩一歩着実に前進するべく、励みます。

*クリスマス*
仏教や神道がメジャーな日本においても、今やもう年間行事として定着していますね。
ただ、宗教的な観点ではなく、「家族や恋人、友人とパーティー!」といった感じですが…。
クリスマス(Cristmas)の語源は、ラテン語の「クリストゥス・ミサ」の略で、
Crist(キリスト)+ mas(礼拝)を意味するそうです。キリスト降誕のお祝いの日です。
キリスト降誕が12月25日とされたのは2〜4世紀のようで、
最古の記録は、AD336年のローマのフィルカロスの暦に記載されているのだそうです。

クリスマスの由来については諸説あるようですが、キリスト降誕の祭礼となる以前から、
古代ローマでは冬至の日に太陽神の誕生祭(ディエス・ナタリス・インヴィクティ・ソリス)や
収穫祭が行われていたようです。
また、東方の教会では1月6日を「公現日」=イエス・キリストが現れた日として祝っていたそうで、
後にそれぞれが合わさって、12月25日から1月6日までを「Christmas tide(降誕節)」としたそうです。

クリスマスの4つ前の日曜日からクリスマスまでを「Awento(アドヴェント/待降節)」と呼び、
イエス・キリストを待ち望み心を整えて準備する期間として、
各地・各家庭でさまざまな過ごし方をするようです。
「アドベント・クランツ」といって、円形にひいらぎなどの葉っぱで飾りを作って扉などに飾り、
4本用燭台(ロウソク立て)を用意して、日曜日ごとに1本ずつ点火するローソクを増やし、
クリスマスが来るのをわくわくして待つそうです。
また、カトリック特有のもので、「クレッシュ」というキリスト生誕場面のジオラマを
飾ったりするそうです。

日本でも、「バカ騒ぎをする日」ではなく、
自分の大切な家族と一緒に食卓を囲んでご馳走を食べて楽しく温かい時間を過ごしたり、
仲間と親交を深めたり、「大切な人と大切な時間を過ごす日」でありたいですね。

冬休みのお知らせ



時々日記 Vol.50  2009.8.〜

夏本番!と暦を見ると、立秋の文字が…。久しぶりに、夏らしい入道雲を見たと思ったら、
もう空もなんだか秋の様子がしてきました。
今年は、梅雨が明けてもまだずっと梅雨が続いているような、ジメジメした夏ですね。
もともと奈良の夏は蒸し暑いのですが、
今年は蒸し暑いというよりも「ジメジメ」という方が合っているように思うほど、
晴れてもスッキリしない夏になりました…。
体調管理に注意して、この夏も楽しく過ごしたいですね。

*秋の彼岸*
秋の彼岸は、秋分の日(今年は、9月23日)を中日としてその前後3日の合計7日間を指します。
9月20日〜9月26日。初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸の明け」と言います。
以前にも少し触れたことですが、地域によっては、秋の彼岸に「おはぎ」を作って仏様にお供えし、
家族もそれを食べる風習があります。季節の花の「萩」と粒あんの小豆が似ていることから、
「おはぎ」と呼ばれるようになったとも言われています。

彼岸という言葉は仏教用語で、もともと梵語(ぼんご)【サンスクリット語】の
波羅蜜多(はらみつた)【パーラミター】を漢訳した「到彼岸(とうひがん)」のことだそうです。
煩悩溢れる世界「此岸(しがん)」に対して、それらから離れた悟りの世界、
涅槃(ねはん)を指します。彼岸は、その名の通り「岸の向こう」ということですね。
そこから発展して、煩悩溢れるこちらの世界を現世、涅槃の世界を死後の極楽浄土として、
あちらの世界と考えたところから、亡くなった先祖たちの霊が住む世界を
「彼岸」と考えるようになりました。
特に日本の浄土系の信仰では、一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、
と考えられていて、既に彼岸の世界へ行った人たちを供養するとともに、
まだ辿り着けずにいる人たちに早く向こうへ辿り着けるように祈るという意味を込めた仏事でもあります。

ちなみに、この「彼岸」という仏教行事は日本独特のもので、他の仏教国にはないのだそうです。
もとを辿れば1つに繋がるものでも、そこから派生していく過程で、
その国の文化や気候風土などの影響を受け、それぞれ変わっていくものなのですね。

*テンゲル4周年記念展*
9月2日(水)〜9月27日(日) *9月21日(月)・9月22日(火)は、営業致します。
<9月28日(月)〜9月30日(水)は、お休み致します。ご了承下さい。>



時々日記 Vol.49  2009.7.〜

気がつけば…というのも4回目。この7/14で、テンゲルも丸4年が過ぎ、5年目に突入です!
早いものです。子供の頃にも「もっと時間がほしい!」と思ったことがありますが、
大人になってからは、時間が過ぎるのが早く感じます。
そう感じられるのは、壁にぶつかったり、暴風になぎ倒されそうになることがあっても、
毎日毎日一歩ずつしっかり歩いている証拠なんだと思うことにしました。
しばしば現実逃避をしてみたり、魂が抜けたようにボーっとしたりもしていますが…。
そんな時間も、みんなみんな自分をかたちづくる大切な要素だ、なんて都合よく言ってみたりして...

*テンゲル時々日記*
その名の通り(?)、毎日必ずはあまりにプレッシャーが大きいからという、
何とも素直な発想から生まれた「時々日記」。
実際のところ月1回なので「日記」と言うのはどうだろう…と思いつつ、
必ず月1回とも限らないので、やっぱり「時々日記」だったのです。
そして、なぜだか、「時々」という音が私にはとても素敵に響いたので、
やっぱりやっぱり「時々日記」になったのでした。

そのうちブログも始め、「ちいさな時々日記」と名付けました。「ちいさな」がミソです。
「時々日記」は、日本の伝統文化を主に取り上げていますが、自分の興味の赴くまま、
ちょっとした豆知識ノートのようにつくっています。興味の赴くまま…これがミソです。
子分の「ちいさな時々日記」は、日々の出来事やふと思ったこと、商品の紹介など、
知識は導入されることなく、私の思いつくままに書かれた日記です。
知識は導入されることなく…ここもミソです。
自分で調べるのは面倒だけど、書いてあるなら読んでみようか?ということを入口に、
自分の国や他の国の文化、人の心に関心を持ってもらえればと大それたことを考えています。

4周年記念展のお知らせ



時々日記 Vol.48  2009.6.〜

6月号が遅くなって申し訳ありません!今回は、7月号と同時に出させてもらいます。
雨が空梅雨かと思っていたら、降ると大雨か豪雨。。。
ダムや貯水池にピンポイントであふれない程度に…なんて都合よくいくはずもなく、
地球環境の悪化を思い知らされる気象状況です。無駄と思わず、小さなことからコツコツと。

*半夏生(はんげしょう)*
半夏生は七十二節気のひとつで、夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間ことを指し、
夏至から数えて11日目の7月2日頃から七夕(7月7日)頃までの5日間を半夏生と言いました。
現在では、天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日とされています。
半夏生に入る時期は、田植えに最も適した時期だそうで、
「チュウ(夏至)ははずせ、ハンゲ(半夏生)は待つな」ということわざがあるくらい、
田植えは夏至が済んで半夏生に入る前にすることが好ましいのだそうです。

この半夏生の日には各地で様々なことが言われています。
「天地に毒気が満ち毒草(半夏)が生える」「天から毒気が降るため、井戸には蓋をしなければならない」
「地が毒気を含むので、この日はタケノコ、ワラビ、野菜を食べてはならない」
「この日には作物の種をまいてはならない 」「この日は竹林に入ってはならない」などなど。
湿気が多く気温も高くなってきているので、カビや雑菌が繁殖しやすいために、
食中毒が起きやすい時期なので、冷蔵庫や除湿器、
エアコンなんてなかった時代には当然のことですね。

そういえば、竹の花を見ると不吉なことが起こる…なんてことを聞いたことがありますが、
竹はめったに花が咲かないようで、60年〜120年とかの長い周期でしか開花しないそうです。
花が咲くと、竹が一斉に枯れてしまう(種類によってはそうならないものもある)そうなので、
それを見てのことなのでしょうね。
ちなみに、半夏生という植物は、蒸し暑いこの季節に涼をもたらしてくれる
さわやかな緑色に半分白い化粧をしたような植物です。
最初は緑色だった葉っぱが、だんだん白い色になり、尻尾のような花が咲きます。
なかなか美しいですよ。



時々日記 Vol.47  2009.5.〜

やっと春だと思っていたら、急に夏日が続いたり寒くなったりと忙しい気候が続いています。
体調管理に気をつかう季節ですが、行楽には一番と言っていいほど楽しい季節ですね。
新緑の空気をいっぱいいっぱい吸い込んでリフレッシュして、日常を元気に過ごしましょう!

*父の日*
毎年6月の第3日曜日。今年は、6/21(日)です。
実は私、母の日があるのに父の日がないのは、あまりにもかわいそう…と、
とってつけたような日なのかと思っていました…。

父の日は、母の日と同じくアメリカから始まりました。
1972年に、6月の第3日曜日を「父の日」として制定し、国民の休日としたのですが、
その60年程前の1909年、ワシントン州に住んでいたジョン・ブルース・ドット 夫人
(Mrs. John Bruce Dodd)が「父の日」も作って欲しいと牧師協会へ嘆願したことにはじまります。
彼女の父、ウイリアム・ジャクソン・スマート氏は、南北戦争(1861年〜1865年)に
北軍の軍人として召集さました。
その間、母親が女手ひとつで一家を支え6人の子供(男5人、女1人)を育てました。
父親は復員しましたが、その後に母親は過労によってこの世を去ってしまったそうです。
そして、父親は残された子供たちを男手ひとつで育てあげ、6人が成人するのを見届けて他界しました。
残念ながら日本や他の国々でも、戦争によってこのようなことが起こっていた
(今でも起こっている国がある)のですが、戦後の大変な時代を、
再婚もせずに懸命に働いた父親の姿を見て育った末っ子のドットが、
父を称えて「父の日」を提唱したのが始まりで、
父親の誕生月にあたる6月に「父の日」ができたのだそうです。

「母の日」が国民の祝日となった後、1916年頃に「父の日」が認知されはじめます。
1923以降、第30代大統領のジョン・カルビン・クーリッジが、「父の日」の意義を提唱し、
1926年には、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織されました。
こうして、1972年に「父の日」が制定され、国民の休日となったそうです。
日本では、1947年に公式に5月の第2日曜日が母の日となったので、
父の日が広がったのはそれ以降でですが、70年代でもそれほど認知されてはいませんでした。
1981年に社団法人日本メンズファッション協会を母体とした
『FDC 日本ファーザーズ・デイ委員会』が設立され、父の日が国民的イベントになってきたそうです。

1982年、日本メンズファッション協会と日本ファーザーズ・デイ委員会の主催で、
『素敵なお父さん』とされた著名人に贈られる賞として、
ベスト・ファーザー イエローリボン賞が始まりました。
ちなみに、黄色は中国では「幸福の色」とされ、「喜び」「楽しみ」「希望」「向上心」「やる気」
の意味がこめられています。
また、イギリスでは古来「身を守るための色」とされており、アメリカでは、
南北戦争時代には兵士の無事を祈る黄色のハンカチの伝統が始まったのだそうです。
父の日の花は、ドット 夫人が亡き父の墓前に供えたことから、
シンボルフラワーは白いバラと言われています。
黄色いバラやヒマワリのほか、白いユリなども支持されています。



時々日記 Vol.46  2009.4.〜

やっと春本番の陽気になりました。ちょっと通り越してしまったりする日もありますが…。
あちこちで春の草花が見られ、山も春色に変わってきましたね。
お出かけが楽しい季節到来です!!花粉症にお悩みの方も多い季節ではありますが、
散歩や休日の遠出で気分一新、新年度のスタートを元気に過ごしましょう♪

*薪御能(たきぎおのう)*
期間
2009年 5月 11日 (月) 〜 2009年 5月 12日 (火) (毎年同日)
時間
11時 〜12時30分<予定>  春日大社(奈良市春日野町)
17時30分〜20時30分頃  興福寺南大門跡(奈良市登大路町)
※雨天の場合、奈良県文化会館で開催予定。
奈良・興福寺の修二会(しゅにえ)の中で、薪献進に始まる神事で奉納される能です。
仏法の守護神を迎えるための聖火の薪をとるための芸能で、薪猿楽(たきぎさるがく)、
薪の神事などとも呼ばれるそうです。

全国各地で行われている薪能ですが、もともとは、興福寺南大門前の芝生で演じられてきたもののことで、
各地の薪能は戦後これに習ったものだそうです。
この薪御能ですが、始まりは13世紀半ばと考えられているようです。
能の始祖である、観阿弥(かんあみ)が2月の永代参勤を寺と約束して、
世阿弥(ぜあみ)は「一年中の御神事始めなり」と書いていて、興福寺を母胎として発達した
金春(こんぱる)、観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金剛(こんごう)の能楽四座にとって、
重要な行事だったようです。

869年、興福寺修二会で大唐楽【雅楽の一種。
唐楽・林邑楽(りんゆうがく)などの中国系の音楽を母体にして平安時代に日本化された音楽。
左方楽ともいう。】が舞われたと伝えられていて、能楽が大成される室町時代には最も盛況を極め、
能が江戸幕府直属になってからは、観世座は出勤が免除されて、他の座も二座交替制になったそうです。

初日は春日大社で「咒師(しゅし)走りの儀【呪師走りの翁】」、2日目は春日大社若宮社で
「御社上り(ごしゃのぼり)の儀」が、それぞれ午前11時から行われ、
その後午後5時半から興福寺南大門般若の芝で「南大門の儀」が行われ、
2日間で能楽四座による能・仕舞と狂言が演じられ、能の古い伝承の姿を今日に伝えています。



時々日記 Vol.45  2009.3.〜

暦より先に草花が春を教えてくれるので、少々寒くても春の気分です。
とはいえ、まだ冬服は脱げませんが。
陽射しも、山も、だんだん色鮮やかに変わってきましたね。

*十三参り(じゅうさん まいり)*
十三参りは、旧暦の3月13日(新暦の4月13日)に、数え年【※1】13歳になった男女が
大人になったことに感謝して、これから先の万物の福徳と英知を授かるために、
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)に参詣する行事です。
他にも、一名、知恵詣り、または、智恵もらいなどとも言います。
はじまりは、100年〜200年くらい前からと諸説あるようですが、その昔、空海が、
驚くほどに記憶力を増大させたといわれる虚空蔵求聞持法に由来するともいわれていて、
13歳という年齢が元服の時期にあたり大人の仲間入りをするための、
一種の通過儀礼として伝承されてきたようです。

関西では馴染みの深い行事ですが、関東では一般的ではないようで、
十三参りの習慣がない地方もあり、全国的には七五三が一般的なようです。
十三参りでよく知られているのは、京都嵐山の法輪寺、奈良では弘仁寺が有名です。
とくに、「嵯峨の虚空蔵さん」として親しまれている京都嵐山の法輪寺では、参詣の帰り道、
本殿を出た後に後ろを振り返ると、せっかく授かった智恵を返さなければならないという
言い伝えがあって、長い石段を降リ切った鳥居をくぐるまで、または渡月橋を渡り終るまでは、
周囲の誘いにも動じず後ろを振り向かないで進まなければなりません!

ひとりの大人として、誘惑に負けることなく強く真っ直ぐに生きなさいという人生訓を
教えようとしたものでしょうか。
節分の太巻きと同じで、感受性豊かで発見の多い子どもにとっては、
これがなかなか想像以上に過酷なものです。。。
お参りする前に、絶対に振り返ったらだめよ!と何度も何度も言い聞かされるわけですが、
するなと言われるとしたくなるのが人の性というもので、子供ならなおさらですよね。
何かを得るためには、努力と忍耐が不可欠なのでしょう。。。
【※1】
「数え年」とは生まれた時を1歳とし、正月を迎えるたびに、
年令を1才重ねるという計算方法。子供の成長祝いである七五三や長寿祝などは、
この数え年を節目として祝います。
まだその年の誕生日を迎えていない場合は、満年齢(その年なる年齢)プラス2歳で、
すでにその年の誕生日を迎えた場合は満年齢プラス1歳です。


時々日記 Vol.44  2009.2.〜

春近し。暦の上ではもう春ですが、まだまだ冬です…。
家の中で、ぬくぬくとしていたいところですが、息を白くさせながら散歩をするのも良いですね!

*奈良・季節の花*
奈良は、気候が穏やかで四季がほぼ同じほどの期間で移り変わる良いところです。
ただし、冬は底冷え。極寒の地ではありませんが、深々と冷え込みます…。
春の花のひとつ、「椿」。桜とはまた違った儚さと、牡丹とは違う楚々とした姿が、
日本の春にふさわしい、奈良の三名椿をご紹介します。
見頃は、それぞれ3月中・下旬〜4月上・中旬。(期間はおおよその目安です。)

■ 東大寺開山堂“のりこぼし”
東大寺二月堂の西側、初代別当である良弁(ろうべん)僧正の肖像が安置されている
開山堂の庭に植わっています。
良弁椿ともいい、花びらに糊をこぼしたような白い斑(ふ)が入った椿です。
二月堂の修二会(お水取り)でおなじみの椿です。
非公開のため、庭内に入って見ることはできないのですが、塀越しに眺めることはできます。
静かに眺めましょう!

■ 白毫寺 (びゃくごうじ)“五色椿”
高円(たかまど)山の中腹にあり、奈良市街を見渡せる眺めの良いところにあります。
一本の木に、五色の花が咲くそうです! 華やかですね。

■ 伝香寺(でんこうじ) “散り椿”
奈良の市街地にひっそりと佇むお寺で、唐招提寺の末寺です。
一般に知られているコトリと花がそのまま落ちるものと違って、桜の花びらのように、
一枚ずつ散っていく椿だそうです。それもまた素敵ですね。

*奈良・季節の行事*
今年もご紹介。ホルンの音を聞いてどこからか現れる鹿の群れ。一度は必ず見てほしい!

■ 鹿寄せ    2009年2月1日(日)から3月15日(日)までの毎日
時間 : 10時〜(約15分ほど)
場所 : 飛火野(奈良市春日野町・春日大社参道南側)
料金 : 無料



時々日記 Vol.43  2009.1.〜

新しい一年が始まりました。今年は丑(うし)年。
牛の歩みのように、一歩一歩しっかりと力強く前に進んで行きましょう!
明るい話の少ない昨今ですが、なぜか我が家では、新年早々ちょこっとミラクルな面白い出来事が
とっかえひっかえ起こります。
今年いらっしゃった神様は、笑いの神様のご様子。
皆様のもとにも、明るい笑いがたくさんやってきます様に!

*建国記念の日*
国民の祝日として、毎年休みになっているけれど、詳しいことはわからない…。
そんな祝日のひとつが建国記念の日です。1966年【昭和41年】に、
「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、2月11日を建国記念の日と定めました。

この祝日のもととなるのは「紀元節(きげんせつ)」で、明治時代に、
日本の起源を祝日にしようという動きが起こり、1872年(明治5)に、
『古事記』『日本書紀』の記述にもとづいて、
初代天皇である神武天皇が即位したとされている1月29日が祝日に定められたそうです。
紀元節は、全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれて祭事が催されていたり、
庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていたそうです。

第二次世界大戦終結後の1948年(昭和23)に、占領軍の意向によって、祝日ではなくなったのですが、
後に、紀元節を復活させようという動きが高まり、
反対する動きを抑えて建国を記念するための祝日を設けることになったようです。
その際、「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。
そして、1966年に国民の祝日として認められ、翌年から適用されるに至りました。

「建国記念の日」が、建国された当日を祝うのではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、
建国されたという事実そのものを記念する日だからなのだとか。

『日本書記』では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、
初代天皇になった神武天皇であると書かれています。
カムヤマトイワレビコノミコトは、現在の建国記念の日にあたる、
辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原(かしはら)の宮で即位したとされていて、
そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もあるそうですが、
歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として位置づけられているということもあり、
建国記念の日が成立するまでには、
「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など、
専門家による多くの議論があったようです。



時々日記 Vol.42  2008.12.〜

今年の締めくくりの時々日記です!
子年にふさわしく(?)チョコチョコスタタタタタ…と、持ち前の小動物動きを存分に発揮しては、
平坦なところで転んでばかりの一年が終わろうとしています。
(これは比喩ではなく、実際の出来事です…。)やっと…。来年は、どんな年になるでしょうか?
家族や友人をはじめ、自分の周りの人たちと一緒にいっぱいいっぱい笑える一年にしたいですね。
みなさんの2008年末と新しくやってくる2009年も、そのようでありますように☆

*注連縄・七五三縄(しめなわ)*
毎年、玄関や車に飾るしめ縄。その由来については、神代の昔、
天の岩戸に隠れた天照大神(あまてらすおおみかみ)を、岩を引き明けて連れ出し、
大神のまわりに「しりくめ縄」を引きめぐらしたという神話が、しめ縄のはじめだといわれています。
その「しりくめ縄」を略した、「注連(しめ)縄」または「標(しめ)縄」と書き、「しめ飾り」ともいいます。
内外の境界や出入禁止のしるしに引き渡す縄のことを言い、
神前や神事を行う場所にこを張るときは清浄な区域であることを示し、
わざわいをもたらす神や不浄なものが内に入らないように、新年の戸口にしめ縄を飾るそうです。

しめ飾りは、縄のないはじめの太い方を向かって右にして飾ります。
装飾の多い玉飾りは、一般に玄関などに飾られ、「輪飾り」は、わらの先を輪の形に結び、
下をそろえて長くたらして、それに四手(して)【清浄な場であることのしるしで、
和紙を重ねて折り、一定の形に切ったもので、
昔は木綿や苧(お)を用いた】を付けたもので、門松や門に飾ったり、
家の中では、水道や床の間などに飾るそうです。
今日では、わざわいをさけるためにと自動車、オートバイや自転車などにも飾られるようになりました。

しめ縄に添えられているもののうち、「裏白」とは、裏面が白いシダのことで、
裏表のない潔白な心を示すのとともに、枝が長く伸びることから、長寿の意味も込められています。
「ゆずり葉」は、一名親子草とも呼ばれていて、新葉が成長してから古葉が落ちることから、
代々譲って子孫が長く絶えないとされています。
「板昆布」とは、和名の広布(ひろめ)から広いのを喜び、
「夷女(えびすめ)」は福を喜ぶということから、よろこぶとの語呂合わせでもあります。
「橙」とは、代々と音がめでたく、子孫繁栄の縁起もので、飾りの橙は、後でとっておくと、
火除けになるといわれています。

しめ飾りは、門松と同じように正月の神を迎えるための飾り付けなので、一夜飾りをさけて、
12月28日までに飾り、松の内がすぎれば取り払って、どんど焼き(とんど焼き)で燃やします。
松の内は一般的には1月6日までとして、松飾り(門松)を6日の深夜または
7日の早朝に取り除くのが風習になっているそうですが、関西をはじめとする一部の地区では、
14日の深夜または15日の早朝に取り除くように、地方によって異なるそうです。
ちなみに、新年に入って初めて出合った人に新年の挨拶を交わすのも、松の内までです。

年末年始のお知らせ




時々日記 Vol.41  2008.11.〜

あっという間に…という方も、やっと…という方もいらっしゃると思いますが、
今年も残すところあと2ヶ月ですね。
「秋の日は、つるべ落とし」とは良く言ったもので、
本当に日暮れが一気に早くなりました。朝晩の冷え込みも、やはり秋。
今年は、各地で紅葉が美しくなるようですね。
最高気温が高すぎたのか、冷え込みが厳しいのか…。
真っ赤に色付く葉っぱに見とれるこの頃。
空の様子は、この季節が一番美しく感じられて、私の大好きな季節です。

* 宝山寺(ほうざんじ)*
ここ、生駒市には、宝山寺というお寺があります。
生駒山の中腹に位置していて、大正7年に日本で初めて開業した
ケーブルカーに乗って行くこともできます!
(現在は、車両は新しくワンニャン型になっています!
山間や参道の景色を楽しみながらのぼることができます。)

延宝6年(1678年)、湛海律師(たんかいりつし)が中興開山され、
真言律宗大本山として、古くは都史陀山大聖無動寺(としたざんだいしょうむどうじ)
といったそうです。
宝山寺以外でも、生駒山は滝が多く、修験者の行場として栄えていたのだとか。
宝山寺本堂の後ろには、般若窟(はんにゃくつ)という大きな岩壁の洞穴があって、
役行者(えんのぎょうじゃ)がそこで修行し、開山したといわれています。
後には、弘法大師もここで修業をしたことがあるそうです。

聖天堂の秘仏、大聖歓喜天尊は現世御利益の神様で、聖天さん(しょうてんさん)
として親しまれていて、商売繁盛を祈願する人々が訪れます。
石畳の参道を抜け、境内に入ると、山自体が御神体かと思うほど大きな般若窟が
聳えています。建物は比較的小さなものが点在している感じですが、
いかにも山中にあり大きな力を持っているような気が立ち込めています。
聖天堂の巾着型のお賽銭入れも、いかにも商売繁盛!という気がします。
大みそかに宝山寺を訪れると、お線香の煙が濛々と立ち昇り、
多くのロウソクの炎が揺れ、たくさんの参拝者の熱気とピンと張りつめた空気が相まって、
なんとも独特の異空間に来たような感じが味わえます。

<訂正とお詫び> 前号(vol.40)で、2008年の炉開きの日にちを
11月13日と記載しておりましたが、正しくは、11月7日です。
誠に申し訳ありませんでした。



時々日記 Vol.40  2008.10.〜

空気が一気に秋に変わりました。半袖でも汗をかいていたのが、嘘のような涼しさです。
衣替えをと思いながらも、もしかしたらまた…と考えてしまうこの頃。
冬服を出しても、なかなか夏服をしまえないでいます。
暑いときは暑いように、寒いときは寒いように…。
とにもかくにも、皆様、健康第一で!

*炉開き(ろびらき)*
茶道では、陰暦の亥の月の初亥の日(2008年は11月13日)に炉を開いて、
初夏に摘んで寝かせていた新茶を初めて使う「口切※」が行われるので、
「茶人の正月」と呼ばれています。
【※ 茶壷の口封を切ること。また、その葉茶を臼で挽いて点てて出す茶事。】
ちなみに、炉(ろ)は、茶室の畳の一部を切って床下に備え付けたお茶用の小さな
囲炉裏(いろり)のことです。
大きさは、1尺4寸四方(約53.2cu)で、11月初め〜5月初め頃までのお茶席では、
その炉でお湯を沸かしてお茶を点てます。

夏場の風炉(ふろ)の使用をやめて炉を使い始めることを「炉開き」と言います。
開炉(かいろ)とも言います。
もともとは中国から伝わって、平安時代に宮中行事となった「玄猪(げんちょ)」
という儀式に由来するといわれているそうで、
陰暦10月(亥の月)の上亥の日(最初の亥の日)亥の刻(夜9時〜11時)に、
新米で搗いたお餅を食べると万病が避けられるのだとか。

また、この行事は「亥の子」とも言われていて、お亥の子と呼ばれる実りの神様に
感謝をする行事でもあります。【時々日記vol.15参照】
この玄猪の行事は、鎌倉時代の有職故実書『年中行事秘抄』には、
「朱塗りの盤四枚に紙を立て、台の上に据え、女房がこれを取り、朝飼(あさがれい)に置く。
次いで蔵人所の鉄臼に餅を入れて搗く。
猪子形に作り、寝所の四隅に挿す」と記されていて、鎌倉時代の事典『二中歴』には、
「亥子餅七種粉、大豆・小豆・大角豆・胡麻・粟・柿・糖」
と亥の子餅の材料が記されているそうです。

また江戸時代には、亥は陰陽五行説の極陰(水性)にあたり、火難を逃れるというところから、
この日に炉や炬燵(こたつ)を開き火鉢を出す習慣があったようで、
それらが今日に続く茶道の炉開きにも繋がっているようです。
ところでところで。芸術の秋、食欲の秋。
茶道ならどちらも満たせますね。

宝船画像




時々日記 Vol.39  2008.9.〜

きれいなうろこ雲が空に浮かぶ季節になりました。日中はまだまだ夏のようですが…。
栗も採れるようになり、秋刀魚も脂がのって、空も少し高くなったような…。秋ですね。
季節の変わり目はいつもより体調に気をつけて、
もう少しの間暑さに負けず仕事に遊びに励みましょう!

*誓文払い(せいもんばらい)*
今で言うところの「セール」です。十月二十二日の恵比須祭を中心に行われる
商家の蔵ざらえのことで、商人が平素の利得の罪ほろぼしのために、
この日に限って、特に品物を安価に売って、
神仏に謝罪しようとしたことから始まったのだそうです。
それから次第に、誓文払い用の特別廉価品を仕入れて売るようになり、
期間も、五日間から一週間位にまで延びていき、
「セール」の様相を呈するようになったようです。

神に誓う起請文のことを「誓文」と言い、嘘いつわりの罪を払い、
神の罰を免れようとすることを「誓文払い」と言います。
京都では「えびす講」と言うそうです。
えびす講は、商人が蛭子(えびす)神をまつるもので、
もともとは誓文払いとは別だったものが、
日にちが同じところから途中から混同していったようです。

えびす講は、一説によると、聖徳太子がはじめて市を設けて商売をはじめた時に、
蛭子神を商鎮守の神としたことが始まりなのだとか。
東京名物の「べったら市」も、このえびす講の名残で、
もとはえびす講の器物や塩鯛などを売る市だったのが、
今では浅漬沢庵などを売るようになったそうです。

また京都には、八坂神社の御旅所の西の端に、
誓文返しの神という「冠者殿社(かんじゃでんしゃ)」があり、
商人が日頃の駆け引きでの方便やその昔遊女が馴染みのお客さんに偽りの恋文や
証文を書いたこと、嘘をついたことを祓い清めてもらったのだそうです。

御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と素戔嗚尊(スサノヲノミコト)を祀っており、
俗説には土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)も祀っているといわれているそうです。
昌俊は、源義経が仲違いした兄の源頼朝の命を受け義経の討っ手となったことを隠して
熊野詣を装って上洛し、義経に「自分は紀州熊野権現への参詣の途中に立ち寄ったもので、
君に二心はない」と誓紙七枚を起請し、三枚は八幡宮に、一枚は熊野権現に、
三枚は誓いのしるしとして灰にして飲み下したと言われています。

ところが、誓文をしたためながらも義経を襲うも失敗(堀川夜討)。。。
昌俊は首をはねられるに際して「この後、忠義立てのために偽りの誓いをする者の罪を救わん」
と願をかけたのだとか。
この事から冠者殿社には「起請返し」「誓文払い」の信仰が生まれ、
昌俊を祀って誓文払の神としたと言われているそうです。

いずれにせよ、嘘が方便になることはごく稀なことなので、
正直に生きるのが一番ということなのでしょうね。。。
気をつけましょう!



時々日記 Vol.38  2008.8.〜

残暑お見舞い申し上げます。
あっという間に「残暑」です。残りというより、真っ只中という暑さですね。
でも、最近日が短くなったからか、夕方の店内は冷房が良く効くようになり、
エアコンの苦手な私にはうれしいような悲しいような…。
もうすぐ、夕焼け空の美しい秋がやってくるんだ〜!
と空を見上げて秋の気配を感じたい願望をごまかしているこの頃です。
あともう少し、暑さに負けず元気に過ごして下さいね。

*敬老の日*
今年は、9月15日(毎年9月の第3月曜日)。
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日です。
敬老の日は、諸外国から伝わった祝日とは違い、
1947年に兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)の門脇政夫村長が提唱
「としよりの日」が始まりだそうです。
老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしようと、
農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定めて、敬老会を開きました。

これが、1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がっていきました。
その後「としより」という表現より良いものをということで、
1964年に「老人の日」と改称され、1966年に国民の祝日「敬老の日」となりました。
親なくして子どもが生まれることはありません。
自分たちをこの世に生み出し、
その世界を守ってくれた先人であるおじいちゃんおばあちゃんを思う気持ちを大切に。。。

<おまけ>
敬老、長寿にちなんで「賀寿」 呼称のいわれを少し。
華寿(かじゅ)
数え年61歳のお祝い。還暦。古代中国の暦で、60年で生まれ年の干支に還ることから。
緑寿(ろくじゅ)
数え年66歳のお祝い。数字の重なる縁起の良い66歳を「緑寿」とした。
古希(こき)
数え年70歳のお祝い。唐の詩人・杜甫が「人生七十古来稀なり」と詠んだことから。
喜寿(きじゅ)
数え年77歳のお祝い。喜の字の草書体が「七十七」に見えることから。
傘寿(さんじゅ)
数え年80歳のお祝い。傘の略字が「八十」に見えることから。
米寿(べいじゅ)
数え年88歳のお祝い。米の字を分解すると「八十八」となることから。
卒寿(そつじゅ)
数え年90歳のお祝い。卒の略字が「九十」に見えることから。
白寿(はくじゅ)
数え年99歳のお祝い。百の字から一をとると「白」の字になることから。
※ 100歳以上は、上寿(じょうじゅ)とする場合や、茶寿(「茶」という字を分解すると、
「廿」と「八十八」 で、20+88=108歳 )、 皇寿(「皇」は「白」が 99、
「王」が「十」と「二」で、99+12=111 歳)、 それ以上を珍寿とする場合などがあるようです。



時々日記 Vol.37  2008.7.〜

*夏野菜*
旬の食べ物といっても、この頃ではピンとこなくなってきた気がしますね。
ハウス栽培やバイオ農法などなど、野菜がいつも美味しく食べられる生活はとてもありがたいものです。
でも、やっぱり昔ながらの採れたて新鮮野菜を頂くと、味が違う感じがします。

夏野菜といえば、キュウリ、ナス、トマト、ピーマンなど。色鮮やかで、
見ているだけでも食欲が湧いてきます!色も夏仕様なのでしょうか…???
夏は、暑さで体内に熱がこもって疲れがたまりやすくなりますよね。
加えて、現代の室内は常に快適温度。
クーラーでよく冷えた室内と暑い戸外との行き来で身体の調節機能もお疲れ気味だったり、
汗をかかなくなって体内の熱を放散しにくい状態になってしまったり…。

そんな夏バテの身体には、旬の夏野菜が活躍します!
夏野菜には、身体を冷やす効果があります。
キュウリは、カリウムが多く含まれていて、利尿作用があります。
そのため、体にこもった熱を尿と一緒に排出してくれます。
さらに、水分の摂りすぎで起こるむくみもとってくれるのだそうです。

トマトは、体の塩分を取り除き、疲労を回復してくれます。
そして、血圧を下げてくれるので、イライラも緩和して食欲が増すのだそうです。
ナスも他の夏野菜と同様に、熱を冷ましてくれたり利尿作用がある上、血行をよくしてくれます。
昔は、痛み止めとして薬にもしていたそうです。
また、酒の肴にすると悪酔いをしないとも言われているそうです。
ちなみに、「秋ナスは嫁に食わすな」のことわざがありますが、
旬の美味しい食べ物を嫁に食べさせるな!
というなんだか嫁いびりのことわざとして使われたりしますが、
実際はナスが体を冷やすため、流産しないように…
といったお嫁さんの身体を気づかってのものなのです。

本当に、食べすぎると下痢、腹痛を起こすこともあるそうです。
妊娠中の人、冷え性の人、貧血の人は“食べすぎ”に注意してくださいね。
わが家では、プランターでプチ&ミディトマトとピーマンを育てています。
みなさんも、野菜の蔓で窓際のブラインド代わりと美味しい旬を味わえるのと、
一石二鳥の家庭菜園(プランター菜園?)生活はいかがですか!?



時々日記 Vol.36  2008.6.〜

梅雨の季節がやってくると、今年ももう半分過ぎるんだなあと感じます。
今月は祝日がないので、お仕事されている方も学生さんも主婦のみなさんも、お疲れ出ていませんか?
ジメジメと蒸し暑くて過ごしにくい時季ですが、上手に気分転換して遊ぶときは思いっきり楽しんで、
心を軽くして乗り切りましょう!

*お中元*
相手を思って選ぶ楽しみと毎年の悩みとが入り混じるお中元の季節がやってきました。
最近では、七月十五日の中元の頃にやりとりされる贈り物のことを指します。
もともとは、中国古来の道教の三官(天・水・地の三神のこと)信仰にもとづくもので、
天官は上元に生まれて福を与える神、水官は下元に生まれて水火のわざわいを防ぐ神、
そして地官は中元に生まれて善悪を分別し、人間を愛して罪を許す神の三神をたたえるために、
三元の日に、それぞれお供え物をして盛大なお祭りを行なって、身のけがれを清めたそうです。

この行事が日本に伝わった後、日本古来の先祖にお供え物や贈り物をした習わしと、
仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ・7月15日)と重なって、祖先の霊を祭るためのお供え物を親類縁者、
隣近所に配る習慣ができたのだそうです。その習慣が、お世話になった人に品物を贈る習慣へと変わって
今日の形に定着しはじめたのは、明治30年代なのだとか。

また、「お中元」は一年の上半期の区切りを意味しています。折り目の時期として、
日頃お世話になっている方に、6月下旬から8月上旬までの間に、贈り物をします。
贈る時期は地方によって多少違いがあるようですが、一般的には7月初旬から15日頃とされています。
関西以西は8月初旬から15日頃のところも多いようです。

お中元の時期を逃してしまった場合には、「暑中御見舞」として贈ると良いそうです。
また関東地域では立秋(8月7日または、8日)をすぎると「残暑御見舞」とするのが一般的。
ちなみに、「暑中」とは二十四節気の中の「大暑」に当たる時期のことで、
7月20日頃から立秋の前日までのことを指します。
暑中見舞いの葉書も、これと同じで時期を過ぎると残暑見舞いで出しましょう。



時々日記 Vol.35  2008.5.〜

*梅雨*
梅雨は、日本では北海道と小笠原諸島を除く地域で毎年5月から7月の雨の多い期間のことを言い、
雨季の一種です。一般的に、雨季というと豪雨が続く季節のイメージがありますが、
梅雨はそれほど雨足の強くない雨が長期間続くという特徴があります。

ご存知の通り、湿度が上がり気温も高い状態なので、カビや食中毒などに要注意です!
梅雨の語源は諸説あるようで、もともとこの時期は湿度が高く黴(カビ)が生えやすいことから
「黴雨(ばいう)」と呼ばれ、これが同じ音の「梅雨」になったという説や、
梅の実が熟す頃に雨が降る季節だからという説などなど。余談ですが、語源を辿っていると、
日本人は言葉遊びが好きな人種だなあと思いますね。

ちなみに、雑節の中に入梅(にゅうばい)という日があります。梅雨が始まる時季を指していて、
毎年6月10日頃(今年は6月10日)。昔は、立春から127日目から30日間を梅雨としていたそうです。

*梅雨時のお洗濯*
梅雨といえば、なかなか洗濯物が乾かず悩み多い季節ですね。。。
雨が続くので、部屋干しを余儀なくされたり洗濯物が溜まってしまったり…。
部屋干しでカビ臭くなってしまったり、貴重な晴れ間を狙って干したものの
雨に降られたりして洗い直し…なんていうこともありますよね。

カビや雑菌の繁殖を抑えるために気をつけることは、濡れていないものであっても
洗濯前のものを洗濯機の中に放り込んだままにしないことだそうです。
1日着た服にはもちろん汗や皮脂汚れがついています。それを適度な湿気がある洗濯機の中に入れておくと、
どんどん雑菌が繁殖していきます。
なので、通気性の良い籠などのランドリーバスケットを利用すると良いそうです。

また、部屋干しをする際には、一度にたくさんの洗濯物を干すのではなく、
換気をしながら充分に風が通るように間隔を広くあけて干すのがポイントだそうです。
晴れ間を狙って溜めずに、こまめに少量ずつを心がけましょう。



時々日記 Vol.34  2008.4.〜

新学期、新年度…、いろいろなことがはじまる季節です。
毎日毎日が同じことの繰り返しのようでも、毎日がいつも新しい。
そう思うと、新しい物事に挑戦する不安も、楽しめるようになれそうな気がしてきます。
今まで小学校の授業でしか書道をしたことがないのですが、この勢いで、
この春からはじめることにしました。
人生の先輩方のお知恵を拝借して、独習書道も楽しめそうです。感謝、感謝!

*端午の節句の食べ物 ― 柏餅(かしわもち)*
柏餅は、寛永年間(1624〜1644)頃に登場した日本のお菓子です。
柏の葉は、新芽が出ないと古い葉が落ちないため、柏の葉ように家系が途絶えること
「子孫繁栄」につながりますようにという願いが込められているようです。

このような思いもあり、中国から伝来した行事としては珍しく、端午の節句では、
日本で生まれた食べ物である柏餅を食べる習慣が根付いています。
子孫繁栄はいつの世も一番の願いなのですね。
ちなみに、柏餅が作られた当初は、塩餡を用いていたようですが、江戸時代の後期になってから、
小豆餡や味噌餡が一般的になったのだそうです。

江戸時代の風俗や事物を説明した百科事典「守貞漫稿(もりさだまんこう)」では、
5月5日の項に「男児生まれて初の端午には粽(ちまき)を配り、二年目よりは柏餅を贈る・・・
江戸にては初年より柏餅を贈る」
「赤豆餡には柏葉表を出し、味噌には裡(うら)を出して標(しるし)とす」
という風習が記されているのだそうです。

*こどもの日*
端午の節句として男の子の日でもありますが、
1948(昭和23)年7月に公布・施行された祝日法によって制定された祝日です。
「子供の人格を重んじ、子供の幸福を図るとともに母に感謝する」ことを目的としているそうです。

こどもの日の表記については、こどもは7歳までは神様の預かりものとされていたこともあり、
神仏への「お供え物」などの「そなえ」「供する」という意味の常用漢字の「供」を使用して、
「子供」と表記されていました。
しかし一部で、「供」という漢字は「大人の手下」という感じがするという声が上がったため、
ひらがな表記になったそうです。

また、こどもにも読めるようにひらがなにしたという説も。
いずれにせよ、せっかくですから皆が素直に受け入れられる方が良いですね。



時々日記 Vol.33  2008.3.〜

今年は、ついこの間まで寒かったのに、もう春!?というような陽気です。
寒の戻りも、どうやらなさそうです。桜のつぼみも随分膨らんできましたね。
野の花やつくしも顔を出して、もうすっかり春そのもの。
色鮮やかな景色が広がってくるのが楽しみです!
花粉には悩まされる季節ですが、なんとか素敵な季節を味わえますように…。

*奈良のお祭話 −漢国(かんごう)神社−*
■ 漢国神社内  林(りん)神社 饅頭祭
期間 : 2008年 4月 19日 (土) (毎年同日)    時間 : 11時〜
漢国神社 TEL 0742-22-0612

漢国神社は、飛鳥時代の推古天皇元年(593年)の創建と伝えられていて、
約千四百年も前のことですから、長い歴史のあるところなのですね。
ご祭神は、日本古来の大物主命(おおものぬしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、
少彦名命(すくなひこのみこと)の三神で、大神君白堤(おおみやのきみしらつつみ)という方が、
園神(そのかみ)である大物主命をお祀りされていたようです。
その後、元正天皇の時代に藤原不比等が、韓神(からかみ)大己貴命、少彦名命の二神の二座を
相殿(あいどの)として祀られたそうです。

その漢国神社の境内社・林(りん)神社は、日本の饅頭の祖神と言われる
林浄因(りんじょういん)命を祀っていて、今も全国の菓子業者の信仰を集めているのだそうです。
林浄因の命日に当たる4月19日の例大祭には、全国の菓子業者が参拝して
饅頭祭が盛大に行われるそうです。

林浄因は中国浙江省西湖の人で、中国に留学していた建仁寺の龍山禅師が南北朝時代の
暦応4年(1341年)に帰国する際一緒に来日して奈良に住み、日本で初めて饅頭を作り、
その製法を多くの人びとに教えて饅頭を日本に広めたそうです。
日本で初めて"あん"を包んだ菓子として重宝がられ、奈良饅頭としてすごい人気だったのだとか。

奈良饅頭を作るようになった浄因は、饅頭を持ってよく師の龍山禅師を訪れていて、
その饅頭が足利将軍の目に留まり、さらに宮中に献上されるようになって
饅頭屋を営んでいた林家は大いに繁栄したそうです。
その後、林家の子孫は江戸へも出て「塩瀬」の屋号で饅頭屋を開業。
今も塩瀬総本家として受け継がれています。

また、奈良の老舗菓子舗の千代之舎竹村でも、小豆こしあん饅頭には「林」の文字、
白小豆こしあん饅頭には鹿の絵の焼き印がある、素朴な伝統の奈良饅頭が守られています。



時々日記 Vol.32  2008.2.〜

今季は思いがけず、よく雪が降る冬になりました。
生駒でも何度か積もったり、通り雨ならぬ通り雪が時々ちらついてりします。
小さい頃にはしゃいでいた雪の朝を思い出します。でも、降りすぎも困りものです。。。
立春過ぎても、春まだ遠しです。

*啓蟄(けいちつ)*
二十四節気の一つで、毎年3月6日頃。天文学的には、
天球上の黄経345度の点を太陽が通過する瞬間を指すそうです。
啓は「開く」、蟄は冬の間地中に巣籠(すごもり)りしている虫のことを言い、
春になって大地が暖まり、冬の間地中にいた虫たちが這い出てきて活動し始める頃ということです。
そう言われてみれば、そうですよね。

啓蟄は、中国の『礼記』「月令」の「蟄虫始振」に由来する古い語のようで、
王朝5代目の皇帝である景帝の名前が「啓」だったので、
「啓」を遠慮して「驚蟄(きょうちつ)」と改められたのだそう。
ちなみに、「驚」になったのは、音が似ているので代用したようです。
中国では、漢の滅亡後、唐時代には啓蟄がに戻りましたが、長年使いなれていたためか、
間もなく驚蟄に戻って、今日に至っているそうです。

では、なぜ日本は啓蟄のままなのでしょう?
みなさんもご存知の通り、日本は遣唐使を送って唐の文物を盛んに取り入れて、
暦法も唐のものをそのまま採用していた時代があります。ちょうどその頃、
中国でも「啓蟄」が使われていたのだそうです。
後に唐では、「大衍暦(たいえんれき)」になって、驚蟄に戻ったので、

日本でも奈良時代の後半から「大衍暦」にしようとしたようなのですが、
啓蟄を驚蟄に改めることはなかったのだそうです。漢字文化圏の諸国では、
いずれも暦法に二十四節気を用いて、その名称は同一であったのですが、
日本だけが「啓蟄」を使い続けているのだそうです。

日本が「啓蟄」にこだわったのは、ややこしいからなのか、意味を守ろうとしたのか、
その理由は定かではありませんが、見慣れているせいか、
私にとっては「驚蟄」よりも「啓蟄」の方が、雅で粋な感じがするように思えます。

それにしても、古い古い時代から受け継がれてきたものが急に変えようと思うほどに、
当時の中国の皇帝の権力はすごいものだったんだなあとあらためて感じますね。



時々日記 Vol.31  2008.1.〜

新年あけましておめでとうございます。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
2008年の抱負は?と聞かれることがなくなってきましたが、みなさんはいかがでしょうか。
1年の抱負というよりも、日々目標を定めないといけないこの頃です。
いつかその積み重ねが、実を結びますように!!

*追儺会(ついなえ)*
全国各地で、節分(立春の前日)に「節分追儺式」とか「節分会」「追儺会」という法要が行われていますが、
実は節分と追儺式とはもともと別のものだったそうです。
本来は、立春・立夏・立秋・立冬など節季の前日をいずれも節分というのですが、
今日では私たちが知っている立春の前日をさすようになりました。

厄払いや厄除けなど災いを追い払う行事と、節分の邪気を払う鬼追いの行事とが合わさったものが、
節分行事として一般に馴染んできたようですね。
奈良県でも、各地のお寺などで節分の鬼追い式や追儺会が行われます。
一部を参考まで。。。

■ 興福寺 追儺会(ついなえ)
期間 : 2008年 2月 3日 (日)時間 : 18時30分〜(法要)、19時〜(鬼追い式)
東金堂の本尊薬師如来の前で無病息災・延命長寿のための薬師悔過法要があり、
その後6匹の鬼を毘沙門天が退治する鬼追い式、
午後7時30分からは福引入りの福豆まきが行われます。

■ 法隆寺西円堂 追儺会(ついなえ)鬼追い式
期間 : 2008年 2月 3日 (日)時間 : 17時〜(法要)、19時〜(鬼追い)
3匹の鬼の親子が、大松明を持って一家そろって大暴れ!
でも、最後は毘沙門天に追われて法力でこらしめられてしまうそうです。これで新年も安泰です。

■ 長谷寺 だだ押し
期間 : 2008年 2月 14日 (木)時間 : 14時〜16時30分頃
西国霊場第7番札所である長谷寺の追儺会は、「だだ押し法要」といわれています。
60cmもある大鬼面をかぶって赤鬼に扮した男の人が、山内にとどろき渡るホラ貝と太鼓の音を合図に、
燃えさかる大松明を担いで躍り出てきます。
これを参拝者の群衆が追いかけて大松明を奪うそうです。



時々日記 Vol.30  2007.12.〜

気付けば、30回目の時々日記です。今年はどんな年だったかなあと思い出すと、
やっぱり「年中師走」だった気がします。。。みなさんの1年はいかがでしたか?
2005年12月の時々日記vol.6に書いていた初夢用の宝船の絵をおまけにつけています。
枕の下に敷いて、良い初夢がみられますように!?

*成人の日*
1948年に公布・施行された祝日法により、「おとなになったことを自覚し、
みずから生きぬこうとする青年を祝いはげます」ということで、
翌年から1月15日が成人の日として制定されました。
それ以降、ほとんどの地方で成人式はこの日に行われるようになりましたが、
1998年の祝日法改正(通称:ハッピーマンデー法)によって、2000年より成人の日は、
1月第2月曜日に変わりました。ちなみに2008年は、1月14日(月)です。

昔は成人を迎えると、男女ともに髪形を変え、着物を変え、成人した事が誰にでも分かるようにして、
すべて大人と同格に扱われたそうです。
成人を迎える年齢は時代によってさまざまなようですが、平安時代は15、6歳だったようで、
武士の場合は元服(成人)すると扶持(給料)が貰えたのだそうです。
徳川家では概ね7、8歳から10歳以下という今ではまだ子供という年齢で元服を行っていたのだそうです。
商家の場合は、20歳(数え年)の誕生日を迎えると成人として認められ、
神棚の前で祭事をしてもって、着物一式を贈られ、丁稚から手代へと昇格したそうです。

宝船画像




時々日記 Vol.29  2007.11.〜

11月というのに、セーターや分厚いコート姿の人をまだまだ見かけない今年。
それでも、例年と同様に日暮れは早くなりました。5時にはもう夜のようになっていますね。
紅葉と冬が一緒になってやってきそうな感じです。

*春日若宮 おん祭*
期 間 : 2007年 12月 15日(土)〜 2007年 12月 18日(火)(毎年同日)
時 間 : お渡り式 17日(日)12時〜  お旅所祭 17日(日)14時30分〜
場 所 : 奈良市春日野町 春日大社他
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おん祭は、奈良県民なら必ず(たぶん…)聞いたことがあるはず。

春日若宮おん祭は、1136年頃、洪水被害によって全国的な飢饉になり、
皆が苦しんでいるのを見て、当時の関白である藤原忠通が、若宮神を春日野の仮御殿に遷して、
数々の芸能を奉納し、丁重にお祭りしたところ、雨は止み、作物豊穣となり、
天下が無事に治まったので、以来毎年行うことになったと伝えられているそうです。
おん祭では、神事が厳格に守られる中、日本古来の神楽などをはじめとして、
大陸から伝来した舞楽や、庶民の田楽・猿楽等の珍しい芸能も正しい形で継承されているそうです。
15日に大宿所(おおしゅくしょ)でお祭りが行われ、16日には若宮神社で宵宮のお祭りが行われます。
おん祭のクライマックスは17日で、午前0時から始まる遷幸(せんこう)の儀から
午前11時の還幸(かんこう)の儀まで24時間の間お祭りが続きます。

最も有名なのは、正午から始まるお渡り式ですが、午後2時30分から行われるお旅所祭は、
おん祭の中心ともなる行事です。
仮御殿へ遷られた若宮様の御前において、芝居の語源といわれる芝舞台の上で、
厳粛な祭典が催され、神楽をはじめとするすばらしい古典芸能が午後10時30分頃まで、
絶え間なく奉納されます。
18日はお祭りに携わった人々へのねぎらいの行事といわれる後宴として、
奉納相撲と後宴能が行われるそうです。
この春日若宮おん祭は、870有余年にわたり途切れることなく受け継がれてきたそうです。

天下泰平、五穀豊穣…。万民の幸を願って神様に祈ってくれた国の長がいたこともまた、
現代を生きる私たちにとって、うらやましいことでもあります。。。



時々日記 Vol.28  2007.10.〜

やっと秋らしくなってきましたね。日暮れの早さに驚きます。
日もずいぶん傾いてきましたし、空も高くなりました。夕焼け空の美しい季節です。
日中との温度差に負けないように、簀巻き状態で眠るこの頃です!そろそろ風邪にも注意ですね。

*新嘗祭(にいなめさい)*
新嘗祭はもとをたどると「新饗(にいあえ)」という言葉からきているようです。
昔は、「にいなえ」といったのだとか。「嘗」は「饗」に通じる語で、
神様に食物を供えること、または神様と共食することを意味したそうです。

新嘗祭は、天皇が、天照大神をはじめとする天地の神々に、
その年の新米(穀物)や新酒を供えて感謝する儀式です。
神膳には、その年の新穀から作った、米、粟(あわ)のご飯と粥(かゆ)、
白酒(しろき)と黒酒(くろき)が供えられます。
その後に、天皇が新穀を食べる儀式が行われるそうです。

戦後はこの新嘗祭は皇室典範に記載された儀式から外れたそうですが、
法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、
皇室においては重要な宮中行事として継続されているそうです。
儀式は、23日の夕方から始まり翌日24日の未明まで行われます。

ちなみに、新嘗祭の日付が11月23日に固定されたのは明治 6年だそうです。
それ以前は、11月の 2番目の「卯の日」が新嘗祭の日と定められていました。
明治 6年といえば、日本が現在の新暦を採用した年なので、
それ以前に行われていた新嘗祭は、旧暦の月日によって行われていました。

新嘗祭の歴史は古く、日本書紀では「天武天皇六(677)年十一月乙卯の日」に行った記録があり、
日本書紀での記録では仁徳天皇四十年にも新嘗祭の記述があるようですが、
実際のところ年代は定かではないようです。
ただ、ものすごく古くからの儀式だということは確かなようですね。

*正倉院展*       正倉院展
今年は、第59回。聖武天皇、光明皇后御遺愛の品々をはじめ、
東大寺ゆかりの仏具、献物几・献物箱、天平時代の遊戯具、文房具、染織品、
文書・経典等が出陳されます。
特に絵画を表した宝物や文様表現の優れた宝物が多く出陳されるそうです。

期間:2007年 10月 27日 (土) 〜 2007年 11月 12日 (月)
場所:奈良国立博物館



時々日記 Vol.27  2007.9.〜

少しずつ秋の足音がきこえてくる季節になってきました。
夕暮れ時を過ぎると、蝉の鳴き声にまじって、コオロギの声も聴こえてきます。
秋の「音」は、もの思いにふけりながら静かに時を過ごすのにぴったりですね。
日中の暑さはまだまだ夏そのものですが…。

*奈良の秋*
【西大寺 大茶盛式(おおちゃもりしき)】
10月 14日 (日) 9時〜15時30分
西大寺の大茶盛式は、人の顔がまるまる入ってしまうような特大の茶碗でお茶を頂くお茶会です。
重さ7キロ、火鉢ほどの大きさの茶碗と長さ35センチの大茶筌は圧巻!

この行事は、鎌倉時代に西大寺を復興した高僧・叡尊上人(えいそんしょうにん)が、
正月の法要である修正会(しゅしょうえ)が無事に終わったことを感謝して、
近くの神社にお茶を献上し、人々にもふるまったのが始まりと言われているそうです。
以来、750年以上も続けられている伝統行事です。

【奈良公園 鹿の角きり】
10月 6日 (土) 〜 2007年 10月 8日 (月) 11:30〜14:30(開場11:00)
※ 雨天中止 (なお、中止が1回あれば10月13日(土)も開催)
奈良市春日野町・鹿苑で行われる「鹿の角きり」は、江戸時代初期の寛文11年(1671年)から、
およそ330年あまりにわたって受け継がれている伝統行事です。

奈良公園の鹿は、春日大社の神様が白い鹿に乗ってやってきたという言い伝えから、
神の使いとして古くから手厚く保護されてきました。ところが、頭数が増えすぎて、
発情期をむかえたオスジカの角によるケガなどが増えてきたため、
当時シカの管理者であった「興福寺」が、奈良奉行の要請を受けて
「鹿の角きり」を始めたと伝えられています。

明治時代の初め頃までは、町の所々で「角きり」が行われ、町民は店先、
人家の格子の中や屋根の上から見物していたのだそうです。
奈良町の杉の丸太で造られた太くて丈夫な格子は、ここから『鹿格子』
または『奈良格子』と呼ばれるようになったのだとか。

【往馬(いこま)大社 火祭り】 ※ 時々日記vol.3参照
10月6日(土)宵宮
午後3時〜10時 神楽奉納
午後5時〜 子供神輿行事
午後6時〜 宵宮火・祈願木焚上
午後7時〜 宵宮祭
午後8時〜 宮太鼓奉納

10月7日(日)本祭
午前10時〜 例祭
正午〜午後2時 神楽奉納
午後3時〜 神輿お渡り
午後3時半〜4時半 御供上・奉幣・大松明・神楽・弁随舞・火取り


時々日記 Vol.26  2007.8.〜

先月7月14日に2周年を迎え、3年目に突入しました!石の上にも3年。。。
梅雨が長引いたため、やっと夏が来たと思っていましたが、日暮れの早さに秋の足音を感じます。
暦では8月8日が立秋。確かに秋がそこまで来ています。気が早すぎでしょうか(笑)

*仲秋(中秋)の名月*
旧暦8月15日。日本の年中行事は、ご存知の通り旧暦(太陰暦)に基づいてさまざまな行事が
行われてきました。四季・春夏秋冬はそれぞれ3ヶ月ずつとなりますが、
この3ヶ月を順に「初・仲(中)・晩」と呼び、例えば春1月・2月・3月は初春・仲春・晩春となります。
初春や晩春は今日でもお馴染みですね。同様に、秋も初秋・仲(中)秋・晩秋です。
一般的には、「仲」は、季節の中ごろの1ヶ月(「中」は、真ん中)という意味合いで、
秋の場合、「仲秋」は、秋の半ばの1ヶ月(8月)を指し、「仲秋」は秋の真ん中で、
特に8月の真ん中(15日)のことを指します。

そういうわけで、仲秋の名月は旧暦の8月15日の月のことをいうのだそうです。
おそらく多くの人が仲秋の名月は、満月だと想像してしまうと思うのですが、
実はこの日は必ずしも満月になるわけではないのです!
むしろ満月でないことのほうが多いくらいなのだとか…。
全般的には旧暦8月15日「仲秋の名月」は、満月より早く来る傾向があります。
旧暦の1日は「新月(朔)」の日からはじまるので、単純に計算すると当然15日は新月の14日後になります。
ところが、月の軌道や地球の軌道が楕円であるため、新月から満月になるまでにかかる日数には
2日ほどの幅があるそうです。平均で約14.76日、つまり満月は15日よりやや遅れる傾向があるため、
新月から14日後に必ず「満月(望)」になるわけではないのだそうです。
また、旧暦の1日の決め方に幅があること(「新月(朔)の瞬間が含まれる日」)も関係しているようです。

仲秋の名月が、必ずしも満月ではないと知らなかったのは、私だけではないと思って書いていますが、
みなさんご存知でしたか…?

*奈良の中秋の名月行事*
2007年9月25日(火)
○ 猿沢池 采女祭(うねめまつり)  ○ 唐招提寺 観月讃仏会
○ 慈光院 観月茶会         ○ 松尾寺 観月瞑想会(かんげつめいそうえ)
○ 大神神社 観月祭



時々日記 Vol.25  2007.7.〜

テンゲルも、おかげさまで2周年を迎えることとなりました。
今年も記念展を開催致します!それぞれの作家さんの新作商品を展示します。
期間の途中で一部入れ替え・追加がありますので、お楽しみに♪(常設商品もございます。)
ぜひお越し下さい。

*送り火*
関西で最もよく知られているのは、8月16日、京都の五山の送り火ですね。
京都の夏を代表する風物詩の一つで、最もよく知られている東山如意ケ嶽の「大文字」の他に、
金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、
西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があります。

同じ日の夜にそれぞれ時間ごとに火が点され、京都の夏の夜を彩ります。
大文字に代表される送り火の起源については、それぞれ諸説あるようですが、
確実なことはわかっていないのだそうです。

送り火そのものは、この世から冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事ですが、
これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになったのは、
室町から江戸時代以後のことのようです。

奈良でも大文字の送り火を行っていて、毎年8月15日の午後6時50分から
奈良公園の飛火野で慰霊祭が行われ、午後8時に火が点されます。
行事の中心となる「大」の字は、「宇宙」を意味していて、
火床が108穴、第一画が109m、第二画が164m、第三画が128mで日本最大級なのだそうです。

*東大寺 大仏様お身ぬぐい*
200人程の僧侶や関係者の方々が、早朝から月堂の湯屋で身を清めて
白装束に藁草履姿で大仏殿に集合し、午前7時から撥遣作法(仏様の魂を抜く法要)が行われた後、
全員でお経を唱えて、年に一度の大仏さまの「お身ぬぐい」を始めます。

今日では毎年行っていますが、以前は東大寺の住職の任期中に一度行われる程度だったそうです。
しかも当時は、大仏殿の参道が砂利道だったので、大仏殿内に入ってくる砂埃の量も多く、
掃除ではかなりの量の埃が集められたようです。「お身拭い」が8月7日に日を定めて
毎年実施されるようになったのは昭和39年で、その後参道も石畳で舗装され砂埃も減り、
埃の量そのものは以前よりずいぶん少なくなった今でも、埃の量がバケツ100杯、
200杯と語られることがあるのは、そのころの名残のようです。



時々日記 Vol.24  2007.6.〜

気付けば、もう梅雨を迎える季節です。早いものですね。
新緑の淡い色が、少しづつ濃さを増してきました。雨つゆの光る葉っぱや、日の光を透かせた緑が美しいですね。
でも、どうやら今年は梅雨入りが遅くなりそうとの予報が…。

*蓮華会(れんげえ)・蛙とび行事*
蓮華会は、吉野山の金峯山寺蔵王堂で行われる三大行事の一つで、
七月七日は役行者が産湯をつかったと伝えられている、
大和高田市奥田にある弁天池の清浄な蓮の花を
山上ヶ岳山頂の大峯山寺本堂の蔵王権現に供える法会だそうです。

吉野山に夏を告げる蛙とび行事は、大青蛙(2mくらい!)を乗せた太鼓台が蔵王堂へ練り込み、
法要の後、蛙飛びの作法が行われ、最後に導師の授戒によってめでたく人間の姿に戻るというものです。
蔵王堂は修験道の根本道場である金峯山寺の本堂で、修験道の祖とされる役行者が奈良時代に開き、
修行中に感得したという蔵王権現を祀っているのだとか。

寺伝によると、この蛙は、白河天皇の御世に一人のへそ曲がりの男がいて蔵王権現の悪口をいい、
修験道の行者である山伏の法力を馬鹿にしていたところ、
飛んできた大鷲に断崖絶壁の岩の上に置き去りにされてしまいました。
困った男が通りすがりの山伏に泣きつくと、山伏は男を蛙に変えて降ろしてくれたそうです。

ところが今度は人間に戻ることができない。
そこで吉野山の高僧が蔵王権現の前に座らせて経文をとなえ、人間に戻した伝説に由来するのだそうです。
いつの世の中にも…ですね。

子蛙を乗せた地元の子供たちが担ぐ子供太鼓台が、
道中の人々に愛嬌を振りまきながら約1時間かけてにぎやかに練り歩き、大青蛙を乗せた太鼓台と合流して、
午前中に採取して法要をすませた108本の蓮の到着を待ちます。
太鼓台を先頭に法螺貝を持った山伏たち、金峯山寺の僧、御輿などに続いて桶に入った蓮の花が続きます。

太鼓台は蔵王堂の下までくると一気に石段を駆け上がり、
豪快に練り回ったのち蛙は担ぎ手の若者に背負われて本堂の階段を駆け上って内陣に姿を消し、
蓮の花を権現に供える法要のあと、再び蛙が舞台に現れ蛙飛びを披露して少し高い台座につきます。

ここから読経が始まり、3人の導師に経を唱えてもらった蛙はやっと罪を許してもらい、
ぬいぐるみの頭をとって人間に戻って行事は終わります。
もともとはこの行事、修験者たちの法力くらべの行事だったとも言われているそうです。



時々日記 Vol.23  2007.5.〜

すっかり日が長くなって、夕方が夕方じゃないような不思議な感覚にとらわれる季節になりましたね。
今年は、小学校以来でヒマワリを育てることにしました。種を植えて一週間足らずで発芽!
今は肉厚の双葉がカワイイ時期です。早速虫に食べられかけて、あわてて退治。
夏には太陽みたいに元気な花が咲きますように…。

*夏越祓(なごしのはらえ)*
毎月来る晦日のうち、6月30日は一年の折り返しにあたる晦日です。
1年のちょうど折り返しにあたる6月30日に、この半年の罪や穢れを祓い、
残り半年の無病息災を祈願する神事である「夏越祓」(「水無月の祓い」)が行われます。

「夏越祓」は古くから寺社で行われていて、この日、神社の鳥居の下や境内にはチガヤ(茅萱)で
作られた大きな輪が用意されます。参拝者が「水無月の夏越の祓いをする人は、
千歳の命のぶというなり」などと唱えながらくぐると、夏の疫病や災厄から免れるといわれているのだそうです。
また、神社から配られた紙の人形(ひとがた)に姓名・年齢を書き、それで身体を撫でてから神社に納めると、
罪・穢れが祓われるとも伝えられているそうです。

京都の上賀茂神社では、茅の輪くぐりの神事の後、神職が何千体もの紙の人形を手で一体ずつ
楢の小川に流して穢れを祓う「人形流し」が行われます。
6月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」が、この行事に用いられています。
水無月は、白の外郎(ういろう)生地に小豆をのせてた三角形の和菓子ですが、
それぞれに意味がこめられているそうです。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、
三角の形は暑気を払う氷を表しているのだとか。

旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事でした。
この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払ったそうです。
ちなみに、「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく所のことで、地下など涼しいところを利用して作られた、
昔の冷蔵庫のような場所です。

宮中では、氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといいます。
当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。
でも、庶民にとっては夏の水はとても貴重で、簡単に食べられるものではなく、
宮中の貴族にならって氷をかたどった菓子が作られるようになったのが、水無月なのだそうです。



時々日記 Vol.22  2007.4.〜

開花が早かった今年の桜も、間の寒気のおかげ(せい?)で長い期間楽しむことができましたね。
時々やってくる寒気もはね返すくらいの勢いで、花々がキレイに咲き始めています。
冬の間さみしかった店前のプランターも、一気に春がやってきて、
植物が陣取り合戦さながらに「我こそは!」と葉っぱを茂らせ、つぼみをほころばせています。
こちらも負けじと元気いっぱいです!

*母の日*
今年は5月12日。母の日は、毎年 5月の第2日曜日です。
日頃の母親の苦労をいたわり、母の恩に感謝する日。
日々感謝の気持ちを表すのは、簡単なようでなかなかできないものです。
この日に一年分恩返し!という人も少なくないはず…。それもまた良しですね。

母の日は、1908年アメリカで始まったそうです。
アンナ・ジャービスという少女が、母親の命日に催した亡き母をしのぶ会で、
白いカーネーションの花を霊前にたむけ、人々に分けたのが始まりなのだとか。
その後に、1914年ウィルソン大統領の提唱でアメリカ議会の決議を受けて、
5月の第二日曜日を母の日と定め、母親の徳をたたえることになったそうです。

日本では、戦前に、時の皇后誕生日(地久節)である3月6日を母の日として、
婦人会などを中心にいろいろな行事が催されていたようです。
戦後になって、昭和24年頃から外国の例にならって、5月の第二日曜日に行うようになりました。

キリスト教ではカーネーションは母の日を象徴する花としてのいわれがあるようで、
アンナ・ジャービスの母親が好きだった花だったことも、今日の「母の日=カーネーション」
ということが定着した所以のようです。
母が存命の人は赤、いない人は白を胸につけるのだとか。

<カーネーションの花ことば>
赤 …「真実の愛」「愛情」「情熱」 、白 … 「尊敬」「純潔の愛」、
ピンク … 「感謝」「上品・気品」「暖かい心」 、黄色 … 「美」「嫉妬」「愛情の揺らぎ」「友情」 、
紫 …「誇り」「気品」

*立夏(りっか)*
立夏は二十四節気の1つで、5月6日ごろのこと。この日から小満までの期間も指します。
太陽黄経が45度のときで、夏の気配が感じられるころとされています。
暦の上では、この日から立秋の前日までが夏で、春分と夏至の中間にあたります。
蛙が鳴き始めるころでもありますね。



時々日記 Vol.21  2007.3.〜

暖冬と思っていたら、春になって急にまた寒さが戻ってきました。
店前のブラックベリーの鉢からは、昨年落ちた種からニョコニョコとたくさんの芽が出て来ました。
かわいらしい双葉たちが、この寒さに負けてしまわないかと心配しながら見守っています。
それでも、自然の力と不思議さに驚く毎日です!
気候の変化にも負けず、みなさんも元気に春を過ごして下さいね。

*モンゴルの暦*
「テンゲル」という屋号は、モンゴル語で「空、大いなる空」の意味を持つ言葉です。
いつかモンゴルに行きたいとは思っていたのですが、屋号を考えていたときにふとしたことで
出会った言葉でもありました。空を見るのが好きな私にはぴったりのものです。
今回は、屋号にちなんでモンゴルのことについて調べてみました。まずは、ひとかじり。

モンゴルおよび中国内蒙古自治区では、現在公式には西洋暦が採用されているそうです。
そんな今日でも、伝統的な暦法(太陽太陰暦)も使われています。
ツァガーン・サルと呼ばれる行事は、この旧暦の元旦を祝うものだそうです。
このツァガーン・サルを祝う日にちは、モンゴルではチベット仏教に由来のもので決められていて、
別に内蒙古では漢民族の旧暦(農暦)の元旦に相当する春節の時期に合わせるのだそうです。

モンゴルの暦法では、伝統的には五行思想に基づいた十干十二支が用いられていました。
その五行には、木火土金水と青赤黄白黒といった二通りの表し方があり、
木火土金水を意味するモド、ガル、ショロー、トゥムル、オスは、
日本の「木の兄(え)」「木の弟(と)」「火の兄(え)」「火の弟(と)」などのように兄・弟の区別はなく、
「モド(木)」「モド(木)」「ガル(火)」「ガル(火)」・・・のように2年ずつ同じ行が続いて、
10年で一回りするのだとか。

また、青赤黄白黒を意味するホホ、ウラーン、シャル、ツァガーン、ハルには、陰陽(男女)の区別があり、
「ホホ(青陽)」「ホホクチン(青陰)」「ウラーン(赤陽)」「ウラークチン(赤陰)」・・・と続いて、
木火土金水と同じように10年で一回りするそうです。

さらにこれに、日本でも知られる十二支を表す動物名を組み合わせ、10と12の最小公倍数である
60年で暦が一回りします。
60年で暦を還す、日本の「還暦」と同じですね。
何か赤いもの…の風習は、どうなのかな?



時々日記 Vol.20  2007.2.〜

今年は、各地で梅や桜が例年よりも早く開花したり、降るはずの雪が降らず、いまだ初雪を観測できず・・・
なんていうこともあるようですね。冬の風物詩、ワカサギ釣りもこの暖冬で湖の氷が薄くて禁止だったり・・・。
暖かいのは有り難いのですが、やっぱり「いつも通り」が一番だということをあらためて感じます。

*桃の節句の食べ物*
3月3日、桃の節句。雛祭りとして私たち日本人が親しんできたこの日に、縁起の良い食べ物として
並ぶ決まった食べ物があります。みなさんお馴染みのものですね。

◆蛤(はまぐり)…他のはまぐりのフタとはぴったり合わないことから、女性の貞操を
教える意味で使われてきたそうです。蛤といえば、潮汁(うしおじる)です。
◆菱餅…白・緑・桃色、三色の菱形のお餅。それぞれ、白は雪の清浄、緑はよもぎの色、
桃色は桃の花の色を表すそうです。薬草としても用いられてきたよもぎは、邪気を祓うと信じられており、
増血剤にもなるとか。桃の赤もまた、邪気を祓うのだそうです。

◆白酒(甘酒)…室町時代から桃酒に代わって、白酒が祝いの席で飲まれるようになったそうです。
蒸した米とこうじにみりんを混ぜて作った甘いにごり酒です。

◆あられ…昔、「山遊び」「磯遊び」といって山や海に遊びに行く時の、携帯おやつだったとも
考えられているそうです。

由来を知ると、昔の人の思想や習慣に触れることができます。「へぇ〜」と、現代との違いに驚くことや、
「なるほど、それでなのか。」と納得すること、新鮮な気持ちになれますね。

*奈良の梅林*
暖冬の今年は、例年より早くに見頃を迎えそうですね。

◆月ヶ瀬梅渓…本数 : 約1万本、見頃 : 2月中旬〜3月下旬
五月川に沿った渓谷の両側約4kmにわたって広がっており、様々な展望が楽しめます。

◆広橋梅林…本数 : 約5,000本、見頃 : 3月上旬〜中旬
古木が多く、華やかさと幽玄な雰囲気があり、白梅、紅梅、そして淡桜色、一重咲き、八重咲きなど、
とりどりに咲き匂う梅と景色が楽しめます。大和と大阪を分ける葛城・金剛両山や、
大和平野を見渡せるすばらしい展望も特筆ものです。

◆賀名生(あのう)梅林…本数 : 約2万本、見頃 : 3月上旬〜下旬
県の三大梅林の中で一番大きな規模で、開花期には、白梅、淡紅梅の花の色と香りが山里を包みます。
この賀名生は、南北朝時代に南朝の皇居が置かれたところでもあります。



時々日記 Vol.19  2007.1.〜

新年あけましておめでとうございます。この冬最大の寒気団もなんとか過ぎましたが、
まだまだ油断は禁物です。うがい・手洗い忘れずに!小さい頃からよく耳にするこの言葉。
でも、思い出すのは決まって風邪をひいた後…とならないように、実行しましょう!
今年も1年、元気に明るい毎日を過ごせますように…。

*バレンタインデー*
2月14日。ちょこっと西洋のお話を…。
日本では女性が好きな男性にプレゼント(チョコレート)を贈る習慣が定着していますが、
欧米では「恋人の日」として、恋人同士が互いにという方が多いようですね。
バレンタインデーの歴史は、古くローマ帝国の時代から。当時ローマでは、2月14日は
女神ユノ(すべての神の女王・家庭と結婚の神)の祝日だったそうです。翌2月15日は、
豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日で、若い男たちと娘たちの
生活が別だった当時は、このお祭りが出会いの場だったようです。

その頃、時のローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると
士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止していました。しかし、
キリスト教司祭だった聖バレンティヌスは秘密に兵士を結婚させましたが、捕らえられてしまいます。
そして処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日が
あえて選ばれました。バレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされ、このために
キリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったのだそうです。

このとき、逮捕され処刑されることになった聖バレンタインが、アステリオという判事の手で
取り調べを受けました。アステリオには目の見えない娘がおり、この娘が取調中の
バレンティヌスと密かに心を通じ合わせるようになり、その愛の力で彼女の目が奇跡的に
治ったそうです。それを知ったアステリオはバレンティヌスに感謝し、一家そろってキリスト教に
改宗しました。ところがその件が市長に知られると市長はアステリオの一家を逮捕し
全員処刑してしまいました。そしてバレンティヌスは悪の張本人として数々の拷問を
受けたあげく最後は棒で殴り殺されてしまった…というお話も残っているようです。
恋人たちの守護聖人とされる由来はここからきているのですね。

ちなみに、チョコレートを恋人に贈る習慣は、19世紀中期から20世紀初頭のイギリスで
はじまったそうです。キャドバリー社が、2代目社長の時代に、美しい絵のついた贈答用の
チョコレートボックスを発売したのですが、特にバレンタイン専用にこの商品を
開発したわけではなかったこのチョコレートボックスが、バレンタインデーの恋人への
贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていったのだそうです。



時々日記 Vol.18  2006.12.〜

つい先頃までは、暖かい冬だったのに、急に冷え込んできましたね。
おかげで、あわてて暖房器具を出してきました!また暖かくなるという天気予報を聞きつつも、
師走のあわただしい中、風邪をひくわけには行きません。健康第一です。

*七草粥*
1月7日「七種(しちしゅ)の節句、人日(じんじつ)の節句」の朝、
七草の野菜の入ったお粥をいただいてお祝いをします。

春の七草といえば、「芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、
仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)」この7種類ですね。
これを食べると、邪気を祓い万病を除くといわれています。中国では1月7日のことを「人日」と呼び、
七種菜羹(しちしゅさいのかん・七種類の野菜の羹(あつもの))を食べ、無病を祈る風習が
あったそうです。それが日本に渡り、もともとは雑穀(米・栗・黍・稗子・みの・胡麻・小豆の7種)を
混ぜて炊いていたのが、平安期から若菜を使うものに変わったそうです。

当時は、現在のように季節関係なくいろんな野菜が食べられるわけではなく、貴重なビタミン補給の
食材だったのでしょうね。
七草粥の行事は『延喜式』にも記載されていて、その内容では平安時代頃は1月15日に
行われていていたようです。『枕草子』には「七日の若菜…」とあり、その後の文献にもいくつか
記載はあるようですが、七草の種類については諸説があり、地方によっても異なっていたそうです。

また、1月7日は、正月の門松や七五三(しめ)飾りをしまう地方が多いので、正月をひと区切りする
意味でご元旦からこの日までを松の内といいます。

*奈良・師走の行事*
◆お身拭い…12/8(金) 法隆寺、12/15(金) 唐招提寺、12/29(金) 薬師寺
◆正暦寺 冬至祭(中風封じ祈祷)…12/22(金)
◆春日若宮 おん祭…12/15(金)〜12/18(月)
◆除夜の鐘がつけるお寺…東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺、西大寺、般若寺、長岳寺、
            安倍文殊院、聖林寺、室生寺、飛鳥寺など。(各寺院条件あり)



時々日記 Vol.17  2006.11.〜

紅葉しはじめた店前のナンキンハゼ。いつのまにか刈り込まれていました。ちょっとだけ残った葉っぱが
本格的な秋の到来を告げてくれています。そろそろ南国育ちのコーヒーの木も、人と同じく暖かくしてあげないと
寒そうです。
今年はずいぶん暖かい冬が来そうだなと思っていましたが、やっぱり朝晩のこの寒さは
変わらずやってくるようですね。 暖かくして風邪予防に努めましょう。

*事始め(ことはじめ)*
12月8日。正月始めとも言うそうです。
12月は、師走(しわす)の名の通り、誰もが年の瀬の慌しさ・忙しさを感じずにはいられない月ですね。
「今年の汚れは今年のうちに]CMでも使われているこのフレーズがまさにこの時期のためにある!と、
耳にするたびに感心するばかり。とはいえ、年末差し迫るまでは、ついいつもと同じ毎日を
送ってしまいがちな気分を切り替えるための節目の日がこの日です。

「事始め」とは、お正月の準備「事」を「始める」日ということだそうです。
地方によっては、この日には、一つ目妖怪がやってくると言われていて、その妖怪除けとして目籠(めかご)を
使ったのだそうです。家の軒先に長い竹竿を立てて、その先端に吊るした目籠を見て、
そこにたくさん目があることに驚いて一つ目妖怪が逃げていったのだとか。
人間や動物には目が2個しかないから妖怪は恐がらせに来るのかしら?とふと思ったり。

*年越し蕎麦(そば)*
今年も無事越せますように。と願いながら、大晦日に食べるのは年越し蕎麦。
これもまた、日本人に馴染み深い縁起担ぎの食べ物ですね。
昔の人々は、細く長いお蕎麦に色んな思いを託し、大切に食べたのでしょうね。

今日では、蕎麦といえばほとんどの人が、細長い麺を思い浮かべますが、江戸時代の中期くらいまでは、
お蕎麦といえば普通は「蕎麦がき」にして食べたそうです。当時は、麺の蕎麦をそれと区別するため
「蕎麦切り」と言っていたようで、この蕎麦切りは手間がかかるため大変贅沢な食べ物だったとか。
毎月晦日にこの蕎麦切りを食べる風習があり、大晦日だけが現在にも残って、年越し蕎麦になったそうです。



時々日記 Vol.16  2006.10.〜

店前のクランベリーも随分赤く色付いてきました。今年もまた紅葉の季節がやってきました。
また落ち葉との格闘の日々ですが、赤く色付いた葉っぱを見ていると、なんだかあたたかい気持ちになってきます。

*六曜(ろくよう)*
六曜とは、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種のことを言います。
文字の印象から、仏教用語と思ってしまいますが、実はそうではないそうです。

仏教では、釈迦は占いを禁じているというのがその理由だとか。元々は、一箇月(≒30日)を5等分して
6日を一定の周期とし(30÷5=6)、それぞれの日を星雲に区別するための単位として使われたのだそうです。
14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて中国から日本に伝来し、時を経るごとにその名称や解釈・順序も
少しずつ変えられ、現在の形になったのは19世紀初頭の文化年間のことで、
赤口以外は全て名称が変わっているそうです。
(各人の信仰によっては当てはまらないこともありますので、参考までに。ご了承下さい。)

■先勝(せんしょう)(せんかち)(さきがち)…「先んずれば即ち勝つ」の意味。
かつては「速喜」「即吉」とも書かれた。
万事に急ぐことが良いとされ、また午前中は吉、午後は凶とも言われる。

■友引(ともびき)…「凶事に友を引く」の意味。
葬式・法事を行うと、友が冥土に引き寄せられる(死ぬ)との迷信があり、
友引の日は火葬場を休業する地域もある。
しかし、六曜は仏教とは関係がないため、友引でも葬儀をする宗派がある。

■先負(せんぶ)(せんぷ)(せんまけ)(さきまけ)…「先んずれば即ち負ける」の意味。
万事に平静であることが良いとされ、勝負事や急用は避けるべきとされる。
また、午前中は凶、午後は吉とも言う。

■仏滅(ぶつめつ)…「仏も滅するような大凶日」の意味。
この日は六曜の中で最も凶の日とされ、婚礼などの祝儀を忌む習慣がある。この日に結婚式を挙げる人は少ない。

■大安(たいあん)(だいあん)…「大いに安し」の意味。
六曜の中で最も吉の日とされる。何事においても吉、成功しないことはない日とされ、
特に婚礼は大安の日に行われることが多い。
しかし、本来はこの日に何も行うべきではないとする説もある。

■赤口(しゃっこう)(しゃっく)(じゃっく)(じゃっこう)(せきぐち)…陰陽道の「赤目日」という
凶日に由来する。六曜の中では唯一名称が変わっていない。丑の刻(午前11時ごろから午後1時ごろまで)のみ吉で、
それ以外は凶とされる。この日は「赤」という字が付くため、火の元、刃物に気をつける。



時々日記 Vol.15  2006.9.〜

日中は暑さが続いているものの、空気も少し乾燥してきて、朝晩は過ごしやすくなってきましたね。
これから秋に向けて運動会や地域の収穫祭などで、また夏とは違った楽しみもたくさんの季節になります。
実りと食欲の秋もすぐそこです。
暑い暑い夏を乗り越えてきた体を、秋の涼しい気候と栄養満点の美味しい季節の食べ物で、
充分に回復させて、次の季節を楽しみましょう!

*お亥(い)の子*
旧暦10月(亥の月)の最初の亥の日亥の刻(夜9時〜11時)に、新米で搗(つ)いたお餅を食べて
お祝いする慣わしがあるそうです。収穫の秋。美味しい新米の季節です。
お亥の子(実りの神様)に、感謝をする行事です。
この「亥の子」の行事は、主に西日本で行われるようで、東日本ではこれとほぼ同じ時期の
10月10日に「十日夜(とおかんや)」をするようです。

いずれも、子供たちが地面を打ち叩いて家々を回り、その囃し歌を歌いながら回ってきた子供たちに、
それぞれの家の人がお餅やお菓子をあげるのだそうです。
現代の日本では、ハロウィンの方が知名度が高いかもしれませんが、日本でも同じような行事があるのですね。
ちなみに、子供たちが地面を叩くことには、大地を打つことで邪気を払い生命力を高める「反閉(へんばい)」
の意味があるそうです。

*綿のお話A*
綿の繊維は、側面はリボン状でねじれがあり、断面はマカロニを押しつぶしたような形をしていて、
中に空洞(中空)があります。お布団をお日様にあてて干すとふんわりしたり、汗や水を吸うのも、
この中空部分が空気や水分を取り込むからなのです。
糸や布は、全部同じ形に見えて、実は顕微鏡でミクロの世界を覗いてみると、それぞれの素材に適した
気候の条件などの特徴がある理由がわかりますね。

肌触りの良さ、着心地の良さ、快適感が綿の大きな特徴です。
柔らかく適度な弾力性もあり、引っ張りにも強いので、私たちの日常着として愛用されてきたことも
うなずけます。人もこうありたいものですね!



時々日記 Vol.14  2006.8.〜

みなさまのおかげで、テンゲルもついに2年目に入りました。例年より遅い梅雨明け後の
暑い暑い夏にも負けずに進みますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。

*秋分の日*
1948年公布・施行の祝日法によって制定された祝日です。日本時間で、
地球が秋分点を通過する日として定められているので、閏年(うるうどし)前後など
年により秋分の日が変わることもあります。では、それを誰が決めているのでしょうか。

前年の2月1日に、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、
官報で発表されるのだそうです。一般庶民はあまりその小冊子や官報に直接お目にかかることは
ありませんが…。

いつも前年の2月1日に決定・発表されるのかな?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
これまでに、天文計算によって求められた秋分の日付以外の日が秋分の日とされたことはないのだそうです。
すごいですね。宇宙の仕組みも自然の摂理も人も。

ちなみに、天文計算上、2011年までは毎年9月23日で変わらないけれど、
2012年から2044年までは閏年に限り9月22日が秋分の日となり、平年は9月23日となるそうです。

*綿のお話@*
私たちの生活の中で、最も親しみのある天然繊維の綿。夏場、とくにTシャツを愛用されている方には
欠かせない素材の1つですね。

綿は、紀元前3500年頃にメキシコで、また紀元前2000年頃インドで栽培されていたとも考えられており、
日本に綿布が入ってきたのは8世紀頃で、今と違い当時は貴重品だったそうです。
その後、室町時代の1510年頃に綿の種が伝来して栽培されるようになって全国に広がり、
木綿が庶民のものとなっていったようです。

アオイ科植物の種子に密生した繊維である綿は、40種類余りあり、そのほとんどが多年草なのだそうです。
発芽してから100〜130日ほどで白い綿状の綿花(コットンボール)が収穫でき、
この綿花から糸を紡いで、織機にかけて綿布ができあがります。



時々日記 Vol.13  2006.7.〜

梅雨明けが待ち遠しいこの頃です。台風もやってきたりと、早くも夏本番の様相も見られ、
だんだん季節が早まる感じがしますね。食べ物屋さんやコンビニの店先に「氷」の文字が
風に揺られて涼しげに踊っています。これと風鈴は、庶民の夏を感じます!

*八朔聴虫*
八朔(はっさく)は、旧暦の8月1日のこと。朔が1日を意味します。今の暦でいうと
9月の半ば頃だそうです。古くは農家では、その年に取り入れた新しい稲などを、
主家や知人などに贈って祝ったり、豊作祈願、予祝などの行事を行ったそうです。
のちに、この風習が町屋でも流行し、この日に上下貴賎それぞれ贈り物をする習慣を生み、
祝賀と親和を表すようになったのだそうです。そして、また、この日の行事のことを言い、
田実の祝い(節供)の事を指すそうです。田の実・たのも節句ともいう。

「たのみ」とは、田の実、稲の実りのことを意味し、これを祝うことから起こったといわれるのだとか。
転じて、君臣相頼む(たのむ)の意味にもかけて、主従の間の贈答を意味するようになったそう。
鎌倉後期から、武家社会でもこの風習が取り入れられ、江戸時代には、徳川家康の江戸入城が
天正18年8月朔日だったことから、幕府の重要な式日となり、諸大名は直参旗本は
自惟子(かたびら)を着て登城し、将軍家へ祝詞を申し述べる行事が行われたようです。

また、農家では、「八朔の苦餅(八朔の泣きまんじゅう)」といって、この日は、ぼたもちを
食して祝ったのだそうです。昔からの行事には、「楽」を願い「苦」を共に耐え忍ぶ
人々の心もうかがえるように思います。

*立秋*
毎年8月7日または8月8日。暦の上ではこの日から秋に入ります。
春は名のみの〜♪ではありませんが、暦ばかりの秋で、実際はまだまだ残暑厳しい季節。
とは言え、蝉や他の虫の声も少しずつ音色が変わり、秋を感じ始める季節でもあります。

*二十六夜*
八月下旬。満月ではなく、欠けているお月様を見るのです。二十六夜のお月様は
阿弥陀如来が観音・勢至の両菩薩を脇に従えた姿で出てくるとか。有明の月と呼ばれるくらいで、
夜中の2時くらいにならないと現れないお月様を、昔の人はどんな思いで眺めてたのでしょうね。



時々日記 Vol.12  2006.6.〜

梅雨を通り越して夏が来てしまったかのような感じがするこの頃です。
ベリー系の植物には花が咲き始めたものや、すでに実が色づいたものもあり、楽しい季節の到来です。

*七夕*
7月7日の星祭り。子供の頃に、近所の笹や竹を切ってきて飾り付けをしたのを思い出します。
紙で作った天の川やお星様などさまざまな飾りをつけて、お願い事を書いた短冊を飾り、
お星様にお願いしました。そんなお星様のお祭りというイメージがありますが、
もともとは水の祓えと清めのお祭りなのだそうです。
ちょうど梅雨の真ん中頃ですし、水回りを清潔にするには良いタイミングでもありますね。
また、七夕は棚機とも書きます。これは機を折る織姫様の名前で、
それにちなんでお裁縫の上達を願う日でもあるのだそうです。

*土用の丑の日*
毎年7月20日頃として夏だけが意識されていますが、本来土用は年に4回、
立春・立夏・立秋・立冬の前それぞれ18日間をいいます。
土用の丑の日には、丑にちなんで「う」のつくものを食べると良いといわれています。
一番先に思いつくのはウナギですね。これもやはり旬の物を食べて元気に!!ということでしょう。
他には、土用蜆(しじみ)や土用餅。食べるだけではなく、丑湯や土用干しなど、
季節の変わり目で体調を崩しやすい頃ならではの知恵も含まれているようですね。



時々日記 Vol.11  2006.5.〜

春ももうすぐ初夏の日差しに取って代わられそうなくらい、日中は暖かくなってきました。
新緑の美しい季節がやってきましたね。

*更衣(ころもがえ)*
一年のちょうど真ん中くらいの6月1日は更衣。季節の移ろいにあわせて衣類や履物、
お部屋の敷物やカーテンなども一気に夏の様相に。今日では温暖化の影響もあり、
早くから気温も上がってくるので、この時期以前に夏の仕様に変わるとはいえ、
お座布団もイグサの夏座布団にしたり、敷物もウールから綿や麻の涼しげなものに変えたり、
模様替えも兼ねて気分一新夏を楽しむ準備を整えましょう。

*夏至(げし)*
毎年6月22日頃で、一年のうちで最も昼間が長い日です。
夏に向かってどんどん気温は上がっていきますが、日は短くなっていきます。
このズレは、地球が暖まるのに時間がかかるからなのだそうです。
この季節の花といえば、アジサイ。このアジサイを使って厄除けと金運のおまじないをしてみませんか?
アジサイの花を2枝用意します。それぞれに紐をかけてひとつは玄関の電灯の上に、
もうひとつは寝室の電灯の上に吊るします。玄関の物は厄除けに、
寝室のものは1年間お小遣いに不自由しないご利益があるとか。あとはよーくお願いして、
日々努力!ですね。



時々日記 Vol.10  2006.4.〜

あたたかい春の陽気に誘われて・・・そんなふうに春満喫のお散歩やお出かけが
楽しみな季節です。気候の良い時期は、外の空気をいっぱいすって、元気に明るく過ごしたいですね。

*八十八夜*
夏も近づく八十八夜♪と口ずさむと、新茶の季節です。立春から数えて88日目が
八十八夜(5月2日頃)。この日を過ぎると気候も安定してくるといわれています。
気温もぐっとあがり、初夏の装いです。茶摘みのはじまる時期だということはご存知の通りです。
八十八夜から2,3週間が最盛期で、最初の15日間を一番茶、順に二番茶、三番茶、
四番茶と摘んでゆくのだそうです。

*端午の節句*
こどもの日と言った方が馴染みがありますね。5月5日の男の子の節句です。
5月最初の午の日のことで、もともとその5日を端午(たんご)といったそうです。
古来中国での邪気を祓うとして菖蒲酒を飲む習慣が、飛鳥時代に日本に伝わり広まったもの。
菖蒲は尚武(従事、軍事を重んじること)に通じるということで、男の子の節句になったようです。
子供にとっては、柏餅の方が楽しみでしょうけれど・・・。



時々日記 Vol.9  2006.3.〜

陽射しがずいぶん春めいてきましたね。まだまだ寒い日が多いですが、店先のプランターに
植えたチューリップの芽が出てきて、日に日に成長していって、いっそう春の訪れが
待ち遠しく感じられます。春まであともう少し・・・。
今年はきれいな桜が見られるでしょうか。3月末あたりからしばらくは、よいお天気が
続くとよいですね。お花見もですが、新入学・新入社シーズンですものね。

*春分の日*
春分の日は、昼と夜の長さが同じ日です。ちょうど春のお彼岸の中日で、今年は3月21日です。
春分の日を境に、どんどん日が長くなっていくのを感じながら、美しい桜を思い浮かべる人も多いはず。
春のお彼岸は、春分の日を真ん中に前後あわせて7日間が春のお彼岸です。
春分の日に、真西に沈むお日様を拝む・・・。昔の人は、西方浄土の門に向かって心静かに
手を合わせていたのでしょうね。

そしてやっぱり春のお彼岸にも、つきものの食べ物があるのです。皆様ご存知の通り、
「ぼた餅」です。ちなみに、秋のお彼岸には、「おはぎ」と名前が変わります。
諸説あるようですが、春の「ぼた餅」は、漉し餡のあんこ餅が季節の花である牡丹に
似ているということから「牡丹餅」「ぼた餅」といい、秋の「おはぎ」はつぶ餡の
あんこ餅で、小豆の粒がちょうど季節である萩の花に似ていることから「お萩」「おはぎ」と
言うそうです。専門的には餅自体の製法違いによって名前が違うのだというお話もあるようですが、
自然を愛する日本人の風流に一票!

豆知識:なぜ小豆かというと、小豆の赤が邪気を祓うとされていることからとか。

*花祭り・仏生会(ぶっしょうえ)*
4月8日はお釈迦様の誕生日。お寺では、誕生仏に甘茶をかけたり、甘茶を頂いたりするそうです。
そして、ちょうどこの頃は気温も上がってきて虫も生まれてくるので虫除けまじないをする日でも
あるそうです。
この日には、よもぎの新芽を摘んできて、緑色の美しい草団子を作っておいしく頂きましょう。



時々日記 Vol.8  2006.2.〜

日も長くなり春を思わせるような暖かい日がある一方、まだまだ冬将軍健在!の寒い日もあり、
花芽も膨らみかけては冬眠の繰り返しのようです。
来年のことを言うと鬼が笑う…の鬼も節分の豆まきで退治したところで、今度は皆で
たくさん笑いましょう!!

*桃の節句*
3月3日は雛祭りです。桃の節句は、「上巳(じょうし)の節句」と言い、上旬の巳の日の
ことだそうです。形代(かたしろ)と呼ばれる人形で体を撫で、川や海に流して
穢れ(けがれ)を祓った習慣が、今の流し雛の風習として残っているのだとか。
雛祭りとして盛んになったのは、江戸時代以降のこととのこと。

今日では、住宅事情や家族構成の関係などで、段飾りのお雛様を飾るお家も少なくなって
きているようですが、物の大小問わず、お祝いをする気持ちが大切なのです。
お扇子や色紙、小さなお雛様…形は何でも自分だけの素敵なお雛様をお家に飾って、
お菓子や菜の花、桃の花などを一緒に飾ってお祝いしましょう。

ちなみに、お内裏様とお雛様の席順は?京雛飾りは向かって右にお内裏様・左にお雛様で、
関東飾りは向かって左がお内裏様・右にお雛様のようです。
どちらに座っても、夫婦仲良しが一番といったところですね。

*お水取り*
東大寺二月堂の修仁会(しゅにえ)は、天平勝宝4(752)年に、東大寺開山良弁(ろうべん)
僧正の高弟である実忠(じっちゅう)和尚によってはじめられたと伝えられています。
それ以来今日まで絶えることなく続けられ、平成13(2001)年には、
1250回を数えたのだそうです。

この修仁会の本行は、現在では3月1日から2週間にわたって行われていますが、
もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味を込めて
「修仁会」と呼ばれるようになったとのこと。二月堂の名前もこのことに由来しているとか。
一般的に知られている「お水取り」はこの修仁会の中の行のひとつで、3月12日の深夜に、
若狭井(わかさい)という井戸から観音様にお供えする「お香水(おこうずい)」を
汲み上げる儀式です。

観衆にとっての修仁会の一番のみどころは、やはり舞台の下から見るお松明の炎。
滝のように降り注ぐお松明の火の粉と、お松明をかかえて駆け抜ける連行衆(れんぎょうしゅう)。
この荘厳な行事は必見です。
お松明はお水取りの当日しか行われない・見れないと思っている方も多いようですが、
実は修仁会の期間中毎日行われます。



時々日記 Vol.7  2006.1.〜

お正月もずいぶん前のことだったように思えるほど、また日常がやってきました。
暖冬との予想もどこへやら。大雪が降ったり、なかなかに寒さ厳しい冬です。
花の芽吹く季節が恋しい時季ですね。

新しい1年を迎え、今年もみなさまにとって素晴らしい1年でありますように。

*節分*
今日では立春の前日を指して節分と言いますが、もともとは季節の分かれ目の意味で
「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日を指していました。大晦日と同じように、
冬から春になる時期を一年の境として年の変わり目としたことから、
現在の日にちになったようです。

節分といえば、豆まき。ご存知の通り、悪い鬼や邪気を追い払う行事ですが、「追儺(ついな)」
と呼び、中国から伝わった風習だそうです。日本では、文武天皇の時代慶雲3年(西暦706年)に
宮中で初めて行われたとか。疫病が流行ったのでしょうか。鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の
枝に刺して戸口に挿す風習は、近世以降に行われるようになったようで、鬼の嫌いな柊のトゲと
鰯の臭気で退散させようとしたものだそうです。また、主に関西地方の風習のようですが、
巻き寿司(太巻き)の丸かぶりも節分ならではの行事ですが、
何に由来する物なのか定かではないようで、海苔屋さんがはじめたこととか。
今年の恵方は「南南東」を向いて、せーので無言のまま食べ切れば今年も1年無事に過ごせるはず!

*針供養*
毎年2月8日に行われる針供養。昔は着物を自分で仕立てて穴があいたら繕って…と、
それが当たり前のことだったので、女性は皆必ず針を使ったもの。自然も物も大切にしてきた
日本人ならではの行事です。1年間たくさん働いてくれた針に感謝を込めて針供養を…。
供養とともに針仕事(お裁縫)の上達を願って、豆腐や蒟蒻に刺します。
もちろんこの日は針を休ませてあげるため、針仕事は控えましょう。
そして、やはりこの行事にもつきものの食べ物があるのです。針供養の2月8日は
農事の「事始め」でもあります。この日には、蒟蒻と風呂吹き大根をいただきます。



時々日記 Vol.6 2005.12〜

一気に冷え込んで、真冬の様相です。風も風邪も強いこの頃。師走の忙しい時期だからこそ、
健康に気をつかって元気に2005年を締めくくりましょう。

*大晦日*
毎月ある晦日(みそか)の中で、1年の最後にやってくる締めの12月。その晦日を
大晦日と言います。大晦日といえば・・・年越しそば!ですよね。
かつては、毎月晦日に食べていた晦日そば。それが、時代の移り変わりとともに今日のように
大晦日にだけその風習が残って、年越しそばとなったようです。

細く長くにかけた縁起担ぎの食べ物。
関西ではうどんが主流。ということは、この習慣はもともと関東のものだったのかな。
太く長いうどんはもっと効果的なのかしら・・・と欲張りなことも考えたことありませんか?

*お正月*
「もう幾つ寝るとお正月〜♪」クリスマスが過ぎるとこの歌が頭の中で流れます。
新しい年の始まりは、とても特別な気持ちです。
でも、年々お正月らしい注連縄(しめなわ)や門松などがきちんと飾られているお家も
少なくなってきましたね。注連縄は地方によっても形がさまざまで、紅白や金銀の屏風を
背に鶴が羽ばたいているような豪華な注連縄をされているところもあり、その土地柄や
昔ながらの習慣が色濃く残っているところなどもまだまだたくさんあるようです。

お正月といえば初夢!初夢に一年の運を託して・・・という方も多くいらっしゃるのでは
ないでしょうか。宝船の絵を枕の下に敷いて寝ると良い初夢がみられるとか。
「一富士、二鷹、三茄子」
2006年も健康で平和に過ごせますように。

*奈良・若草山の山焼き*
今年は、1月8日(日)に行われます。(当日中止の場合、15日(土)に延期)
この若草山の山焼きは、春日大社・興福寺と東大寺による領地争いがもとだという説が
一般的に言われているそうですが、他にも猪を追い払うため、害虫を焼き払うためなど
諸説あるようです。

夜の闇の中、若草山を登る聖火行列。燃える若草山。暗闇が一転して炎に照らされ
赤く光を放つ光景は一見の価値ありです。同時に花火も打ち上げられ、冬の夜空に色とりどりの
光が踊ります。ネオンでは感じられない火の暖かさを感じる一瞬です。
当日近辺では混雑が予想されますが、少し離れた場所で絶景スポットを事前に調べておくのも
良いかもしれませんね。非常に寒いですので、防寒対策は万全に!!



時々日記 Vol.5  2005.11.〜

紅葉した木々がちらほら目にとまるようになってきました。
店先の街路樹「ナンキンハゼ」も真っ赤に染まって、はらりはらりと葉っぱが舞い落ちてきます。
スペードのような形をした面白い葉っぱです。
もうイルミネーションを灯しているお家やポインセチアなど、冬の植物にもお目にかかる季節ですね。
そろそろ本格的に冬支度をしなければ…。

*冬至*
一年のうちで最も昼間が短い日。12月22日頃です。
冬至といえば、柚子湯と南瓜(かぼちゃ)。この日に柚子湯に入ると一年風邪知らずと
いわれています。冬至を「湯治」とかけて、柚子は「融通」からきているとも
いわれているそうです。薬湯としての効果があることが一番でしょうけれど。

南瓜については、「運気がつく」ということで、「ン」のつく食べ物を7種類食べると良いとか。
季節の恵みを頂いて元気をもらおうというところでしょうか。
大根、人参、蓮根、昆布、蒟蒻、ゴンボ(牛蒡)などなど。筑前煮やけんちん汁にして
食べれば一度に制覇できますよ。

*柚子湯のススメ*
冬至に限らず、柚子湯はとっても体がポカポカして冬のお風呂にはオススメです。
また、柚子の香りがココロも癒して元気にしてくれるので、一石二鳥です。
丸ごとポンと入れるもよし、半分に切ったり輪切りにしても楽しめます。
ただし、輪切りにする場合には必ずガーゼが何かの袋に入れて湯船に浮かべて下さいね。
お掃除が大変ですから。

シャワーが普及した現代でも、やはり冬は湯船にゆっくりつかってほっこりしたいもの。
湯船でのんびりは日本人の特権(?)ですから。

*季節を楽しむ*
空調が自在に制御できるようになり、服の素材も開発が進み薄着でも暖かく過ごすことができる
便利な世の中になった一方、せっかく四季がはっきりとある自然豊かな日本に生まれて
長い間受け継がれてきた日常のいろんなものが失われようとしています。
新しいことを受け入れることはとても大切なことです。

でも、守り続けていくべきものもたくさんあるはず。
暑いときは暑いように、寒いときは寒いように…。それぞれに適した素材や姿があるのです。
用の美も充分におしゃれなのですよ。

日本でしか感じることが出来ない四季を堪能する生活もきっと楽しい。
全部は無理だから、少し季節の移ろいに目を向ける、それだけでもおおいに違うはず。
もっと季節を楽しみましょう。



時々日記 Vol.4  2005.10.〜

日中は夏が戻ってきたかのような気温の日もありますが、朝晩めっきり涼しくなって
もうすっかり秋ですね。
空もずいぶん高く見えるようになり、雲のかたちも秋を感じさせてくれます。

*立冬*
11月7日または8日頃。日が短くなって夜が深まる素敵な季節です。
暦の上では、立冬(りっとう)から立春(りっしゅん)までが冬とされています。
この時期から空気の乾燥も一気に進み、火事が起こりやすくなります。
そのため、各地で火防せ祈願の鎮火祭やお火焚き神事などが行われます。

11月は、紅葉狩りに七五三など行事も目白押し。みんなみんな楽しむためにも、いつも以上に
「火の用心」をお忘れなく。

*七五三*
かわいいおべべに千歳飴。七五三といってまず思いつくことはこれですよね。
11月15日にお宮参りをするのですが、どうして11月15日なのかご存知ですか?

旧暦の15日は二十八宿の鬼宿日にあたり、何事をするにも吉だとされていたそうです。
また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神様に感謝する月で、その月の満月の日になる
15日に、氏神様への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝して、「ご加護がありますように。」
と祈るようになったのだそうです。他にも由来があるようですが。

では、なぜ3歳5歳7歳なのでしょう?そして、なぜ男の子は3歳5歳、
女の子は3歳7歳なのでしょう?

武家台頭の時代、子供は3歳で『髪置き』(それまで剃っていた髪の毛を長く伸ばして
唐子まげを結う男女の儀式)、5歳で『袴着』(5歳になった子供がはじめて袴を着る儀式)、
7歳で『帯解』(女の子の祝い。帯の変わりに締めていた付け紐を取り、初めて帯を結び儀式)
という成長にともなった儀式が行われはじめ、それをひとまとめにした行事が
七五三なのだそうです。

ちなみに現在では、11月15日にこだわらず、その前後の都合の良い日に合わせて
行うことが多くなっているようです。

*奈良のおすすめ紅葉スポット&紅葉狩り豆知識*
『紅葉狩り』という言葉は、万葉集にも出てくるそうで、1200年以上前、奈良時代には
すでに存在していたということになりますね。

○奈良公園 ○談山神社 ○唐招提寺 ○秋篠寺 ○大台ケ原 など。
京都ほど華やかではない素朴な感じのする奈良のお寺も、四季を通じておすすめスポットです。



時々日記 Vol.3  2005.9.〜

残暑の厳しい今年の夏も終わりでしょうか。朝夕はずいぶん涼しくなってきました。
日差しも雲も夜空も、もう秋の気配がいっぱいです。

*菊の節句*
10月は春ほどではありませんが、いろんな花が咲く季節でもあります。
日本の秋の花といえば、関西ではひらぱ〜の“ひらかた大菊人形展”でもおなじみの菊。
3月3日上巳(じょうし)の節句は、桃の節句。5月5日端午の節句は、菖蒲の節句。

そして、9月9日の重陽(ちょうよう)の節句は、菊の節句。
ただ、新暦の9月9日だとまだ菊のシーズンには早いので、この節句は旧暦で行うところが
多いそうです。新暦でいうと、10月上旬です。

桃の節句や端午の節句、七夕(しちせき)の節句のように、誰もが必ず知っているという
わけではない重陽の節句。楽しむ人が限られていたからかもしれませんね。
菊の節句といえば「菊酒」です。そう、主役が子供じゃないんです。
子供がメインの行事のほうが、どうしても華やかになりますから。

日本酒に菊の花びらを1枚浮かべて、秋の月を眺めながらゆったりひとり酒を楽しむ。
なかなかの贅沢です。行事としては地味な節句ですが、これも大人の特権です。

また、菊の枝を陰干しして、枕の中に入れたり、枕の下に敷いて、ほんのり菊の香りに
包まれて眠るのも風流ですね。紅葉狩りの前の休息といったところでしょうか。
これから秋が深まってゆくのが楽しみな季節です。

*秋祭り*
秋といえば、実りの秋。そう、収穫祭の季節です。
子供さんにとっては各地でお祭りが催される楽しい季節でもあります。
生駒のお祭りといえば、往馬(いこま)大社の秋祭りです。

往馬大社は、正式には往馬坐伊古麻都比古(いこまにいますいこまつひこ)神社といい、
地元では生駒神社と呼ぶ人が多いです。
生駒山を御神体として祀られた神社で、その歴史は古く「正倉院文書」にも記載が見られる
由緒正しい神社なのです。

古くから火の神様として崇敬されていて、往馬大社の火祭りは、南座、北座の二手に分かれて
大松明をめぐって争う壮大な伝統行事です。もう千年以上も続いているのですよ。

例年10月10日、11日の両日に行われてきましたが、近年の祝日改正にともない、
今年は10月8日(土)が宵宮で午後7時開式、9日(日)は例祭が午後10時から、
火祭りは午後2時から始まります。

大松明を引き駆け抜ける姿は勇壮で、一度はかならず見て欲しい、生駒市民としておすすめの
お祭りですが、足元に火の粉が飛び散るので要注意!!



時々日記 Vol.2  2005.8.〜

暦の上では、実はもう秋。
でも、まだまだ夏真っ盛りで暑い日が続いていますが、夏バテされていませんか?
海も山も夏休みなら行きたい放題!
テーマパークも楽しいですが、自然の中で大冒険も楽しいですよ。
いずれにしてもこの暑さ・・・日焼け対策と水分補給をお忘れなく!!

*手づくり*
手づくりとは。これが意外と難しいものなのです。
既製品でも手縫いのものや手作業でつくられたものがある一方、手づくりと呼ばれる
ものの中にはコンピュータを駆使しているものがあったり・・・。
でも、言葉には上手くできなくても、「手づくり」って感じられるのが不思議。
きっと、作り手の心が通っているのでしょう。

「手づくり」は、とっても手間がかかります。作業の手間、時間の手間、頭の中で考える手間・・・
いろいろ、いろいろ、なにしろとっても大変だったりします。
でも、自分の思いがカタチになったとき、とてもとても気に入って大切にしてくれる
人に出会ったとき、そのなんともいえない充実感が良いのです。
作り手の充実感は、使う人にとっての「あ、コレ!」っていう、ぴったりフィットな
感じにつながって、モノとの素敵な出会いになるのだと思います。
そんな魅力のあるモノこそ「手づくり」なのです。きっと。

*お月見*
まだ少し早いですが、9月になるとずいぶん秋めいてきて楽しみな季節がやってきます。
お月見は、旧暦で8月15日、新暦では9月中・下旬とされています。
中秋の名月、十五夜・・・など他にもいくつか呼び名があります。
もともとは中国の風習だったものが、日本に伝わって今に至る・・・なのです。
そう考えると、現代を生きる私たちは、ずっとずっと昔の人と同じように月を眺めて
いるのですよ。なんだか素敵。

お月様にお供えするのは、薄(ススキ)やお団子のほかに里芋、新生姜、枝豆、柿などの
季節の農作物です。初物やお月様になぞらえた丸いもの。
お芋を供えるので「芋名月」ともいわれるそうです。ぐっと庶民的な感じですよね。
豊作と健康を祈った農耕儀礼なのだそうです。
三日月の夜も風情があって良いものですが、まんまるお月様に照らされてほの明るい夜も
神秘的で素敵です。月明かりに照らされてシルエットが透けて見える薄とのコントラストが
秋の夜をいっそう深めてくれるのです。



時々日記 Vol.1  2005.7.〜

2005年7月14日(木)にOPENしました。
内装の壁塗りやアルミサッシのペンキ塗りなどなども、実は手づくりのお店なのです。
雨降って地かたまる・・・梅雨も明けて、夏本番です。

*お店の名前*
テンゲルとは、モンゴル語で”空”という意味の言葉です。
ちなみに、まだモンゴルへは行ったことがありません。
いつか行きたい。そんな憧れの国。どこまでも続く広い広い空。
ぽっかりと浮かぶ雲。厳しくも優しい自然。
まだ見ぬモンゴルの空は、日本の空と同じで、でも違う空。

*モノづくりが大好きな人のつくる手づくりの雑貨などを扱っています*
ぜひお越し下さい。



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